島田は片平の全盛期と重ならなければもっとSGを量産してただろうしな

島田で思い出すのは、御年50歳で迎えたSG東西チャンピオンカップ優勝戦
灼熱の山陽走路で一人だけ単独スーパーハンデの20を背負い、0ハン須賀に辛くも逃げられてしまったレース

さらに、50歳で迎えた全日本選抜の初日ドリーム戦
今より遙かに強く速かった高橋貢や新鋭トップ級の浦田・信夫らを後方から全て捌き、最後はぶっちぎり1着でゴールラインを駆け抜けた
その後は諸々のスキャンダル等で没落したが、あのレースが島田の島田らしい最後の勇姿だったと思う