0042ななし製作委員会
2018/04/22(日) 15:24:14.39ID:o67c0eb1歴史は詳しくないからそういう河知識は知らなかったなぁ。
賽とはサイコロだったり賽の河原を当然、連想させる。
あの川とは賽の河原から見たあの世の事かな。
賽の河原は親不孝をして先立った子供が行く場所か。
そしてカワウソは歳を取った親の介護をする生き物とどこかで読んだような?
さらざんまいは介護社会の日本と
介護を仕事にして自身の若い活力を捧げる若者を表現する話なのだろうか、
彼らがアガリを迎え歳を取ったら内には何が残るのだろう。
イクニさんの親はどうなのだろう。
ユリ熊嵐でも百合だけではなく「ある日突然失ってしまうもの」として母親や兄弟を描いていた。
最初は姥捨て山ならぬユリ捨て山を考えていたとか。
さらざんまい発表当初にユリ熊嵐スレでも書いたがアの皿はアガリだろうし
矢張りさらざんまいの仕掛けは回転寿司をモチーフにした双六、あるいは人生ゲームなのでは?
カイジ(読んだ事無いので偏見だが)みたいなデスゲーム。
私の中では繋がりの無いはずのモノがまぁまぁ繋がってきたかな、当たってるかどうかはさておき。
ピンドラでの舞台装置は電車を人の運命に例え他者との連結や分離、乗り換えを行う場所として駅があった。
ユリ熊嵐での舞台装置は人とは異なる他者である熊を人と同じ生き物のようにして罪を裁く動物裁判のような場所として断絶のコートがあった。
そして透明な私たちとは異なる他者を排除する事で繋がりを実感するための決定機関として排除の儀があった。
さて、さらざんまいの舞台装置は一体どんな感じになるのだろうな。
すごろくの様なボードゲームなら見た目はきっと面白いだろう。