>>680

>>681

そもそも、この歌ができたときでさえ、この歌を歌っていたものは、江得琉に住んでいた人たちの内で僅かだけ。
その人たちも、子孫に伝えなかったり、高齢化したり、そもそも、戦中戦後も、江得琉に住んでいた人たちを村八分のようにする人々もいたので、
多くが、それらを恐れて、この歌を伝えなかった。
もちろん、俺は、この歌を知る人に、俺以外あったことがなく、去年の秋に家を掃除している時に発見した、家の物置の片隅に残されていた、昔死んだ、俺の親族の古い日記から、最近知った。
もちろん、その日記も、俺の家の物置も公開しませんよ?