八王子は山側故に本家の相模や他の地域から塩止めされると夏は特に厳しかった。

其処で裕司公は領民にたいし、常に塩を保存することを命じた。夏のさいは女子供も摂取しやすくするために甘露水にまぜ、水菓子を香料とした甘露水を水瓶に入れるようになった。

其処で某所では水瓶といえばこの甘露水という具合に水瓶は飲料水の代名詞となった。のちに西洋ではこの水瓶を模る星座をアクアリウスと呼ぶのに倣い、裕司公発案の甘露水をあくありう水と呼ばれるように相成った。