ランカの歌で表現されるものとシェリルの歌で表現されるもの、演者としてどちらか選べるとしたら
後者を選びたい気持ちは正直分からなくもない

シェリルの曲は個人と個人のやり取りを表現することに特化している
言い表し方が壮大だとしても規模そのものは個人レベルで小さい
それがMay'nの少し刺すような感じの?特徴的な歌声とマッチしてる
ランカの曲は言葉でこそ「あなた」一人を指していても気持ちはより大きくて
仮に一人で受け止めても溢れてしまうような、慈愛の方向だと思う
そしてやっぱりキャッチーで分かりやすいのはどちらかと言えば前者
個人的な感情をドラマチックに演出することで沢山の個人を震わせる手法だから
そうして観客から返ってくるエネルギーってのは歌う本人達が一番実感してたのかなと思う

加えてシェリルというキャラは物語と演技力と歌唱力でその表現を一貫してやりとげたけど
ランカというキャラは視聴者の感覚をさておいて「歌に愛がある」と説明されてしまったり
作中の行動と歌が上手く結びついてないことがあったりキャラ自体の方向転換もあったりして
キャラ、製作、演者、視聴者の全てがバラバラに剥離してしまった

ランカの曲そのものに欠点があるということではないから
もしもアナタノオトや蒼のエーテルの方向性を強化していったら
シェリルというキャラには絶対に出せない個性が出せただろうに
シェリルの「妖精」はシェリルにしか本当には歌えない歌だと思っているけど
それにあたるような歌がランカにも生まれてほしかったな