>>174
ゴメン一部省略したからその部分抜けてたは

(3)内田氏の指導状況、コーチや選手との関係等
内田氏は、普段の練習や試合における細部にわたる指導・指示は担当コーチを通じて行っていたが、
プレーに対する基本的な姿勢等の全体的な指導・指示については、ハドル等の場で、自ら発言し、
その中で、特定の選手の名前を挙げて突き放すような物言いで厳しく叱責することがあった。
他方、本来、強度の引退的接触を伴う競技であるアメフトにおいては、特にスポーツマンシップに則りルールをきちんと尊守しながらプレーをすることや
根底において対戦相手に対する敬意を持ち合わせることが必要不可欠であり、指導においてもそのことを十分に念頭に置くべきところ、
内田氏は、勝利至上主義の下、選手に対し、ルールを尊守する重要性を説くことはなく、単に反則行為をおそれたプレーを戒めるだけで、
むしろ普段から反則行為を容認するかのような指導を行っていた。
なお、内田氏は、平成29年復帰以前の第一次監督時代、自己の意向に沿わないコーチに激しい暴力を振るって大怪我させたり、
選手に対する暴力を伴う指導(いわゆる鉄拳制裁)を拒否するコーチを辞任に追い込んだりする暴力的体質を有し、
そうした面からもコーチや選手から恐れられていた。
内田氏のこのような厳しく冷徹な指導方針の中で、コーチも選手も萎縮し切り、その指示には黙って従うことが当然となっていた。
取り分け、選手においては、反抗はおろか、自分なりの意見を述べることなどおよそ許されない雰囲気があり、
内田氏とのコミュニケーションは極めて乏しい状況であった。
内田氏が監督に復帰した時期に約20名の退部者が続出したが、こうしたチーム内の閉塞感がその一因になっていたと見ることもできる。
また、内田氏がこのようにいわば絶対君主のような存在になっていった背景には、前記のとおり、内田氏が日大本部の要職を務める実力者で、
理事長に次ぐ強大な権力を有していたのが関係していたものと考えられる。

鉄拳制裁との記述があるし内田からの直接の暴力でコーチに大怪我を負わせたとの記述もある。