「立場によって、色々な見方、感想があるでしょうが、ある意味、あの行動力と熱情は凄いと思います」
(芸能プロ関係者)

“2時間ドラマの帝王”と呼ばれ、現在、平日お昼の情報番組『ごごナマ』の司会を務めている夫・船越英一郎(57)と泥沼の離婚騒動を繰り広げている松居一代(60)。

「2008年頃から勃起不全によりセックスレスとなった船越が、バイアグラを飲んでハワイ在住の人妻と“不倫セックス”していたとブログ等で一方的に告発したのです。
動画では『バイアグラ100ml男』と何度も連呼した松居。裏切られた思いが強いのかもしれませんが、船越にとっては甚だしいイメージダウン。たまったもんじゃありません」
(テレビ局関係者)

その松居一代は1957年6月25日、滋賀県近江八幡市生まれの60歳。

「6月に還暦を迎えたばかり。父は競艇選手で、“何でも一番になれ”との願いを込めて、“一代”と名付けられました。母・妹の4人家族で育ちました」
(芸能ライター・小松立志氏)

地元の私立近江兄弟社高校在学中の16歳の頃から京都のモデルクラブに所属し、製薬会社などのCMで活躍した。
そして、女優になるため、私立梅花女子短大英文科を中退して単身上京。

「この時も、“どうせ勝負するなら東京で”というお父さんのアドバイスが大きかったようです」
(芸能関係者)

とはいえ、上京直後は共同トイレ、風呂なしのアパートに住んでいたという。

「お昼のワイドショー『奥さま2時です』のリポーターなどの仕事をしたり、雑誌のグラビアでシースルーの洋服を着ただけの“ヌード”になったこともありました」
(芸能記者)

ブレイクしたのは、1979年から出演した『11PM』だった。
リポーターの仕事が人気となり、ドラマや舞台にも出演するようになる。

「『マルサの女』('87年)、『肉体の門』('88年)、『夜逃げ屋本舗part2』('92年)といった映画にも出演しました。また、にっかつ作品『ルージュ』('84年)では大胆な濡れ場が話題となりました。
今の彼女からは想像がつかないかもしれませんが、その頃は、“フェロモン女優”として売れていたんです」
(映画ライター)

“一度目の結婚”は、1986年。当時、年商90億円といわれていたDCブランドの経営者と結婚し、“玉の輿”と騒がれた。

「しかし、'89年1月に男児を出産したが、長男はすぐに激しいアトピーになってしまい、そのため松居は治療に奔走したのです」
(芸能レポーター)

そんな中で、夫の浮気が発覚したのだ。