たとえば「インド」の場合、
「ヒマラヤ」の裾野に「全国統合教育機関」として設置し、
しかし「国」としては、むしろ「教育しない」主義としての主張が効果的ではないか。

「教育しない」といっても、つまりその「ヒマラヤ機関」の志に合うのであれば、
「学校・学習塾」等としては、今まで通り、存在を許容し、
つまり、おそらく大抵は「外資に拠る教育」となるが、
「個別の国民」自ら「教育的導きの価値」を判断させる「自己責任」主義と。