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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6©2ch.net
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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
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2016/11/26(土) 06:37:55.23ID:WbyThkxa
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0233名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/21(金) 06:20:22.31ID:tyVltWEc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
Any breech of her regulations was immediately and ferociously punished.
彼女の規則たちのどんな違反(breach)でも、直ちに残忍に罰せられた。

So, from the standpoint of Greek legend, the dogs of THE MOON may be considered
those of Artemis, ready to attack and destroy men who displease her.
従って、「ギリシャ」の伝説の見地から、「月」の犬たちは、すでに 彼女を不快にする
男たちを攻撃し破壊する、「アルテミス」のそれらと考えられるかもしれない。

The very idea is barbaric and uncivilized, as is the Path of Qoph.
まさしくその考え方は、 「コフの小径」であるのと同じように、野蛮で未開である。
--- ここまで ---

まず、「breech」ですが、おそらく「breach/違反」の誤植です。

それと、再度言っておきますが、この「18:月」に関する考え方は、クロウリー氏の拡張
理論とウォン氏の再拡張理論によるものであり、ゴールデン・ドーンの標準理論ではない
ことにご注意ください。

とはいえ、「月」と言えば「アルテミス」であり、「月」と言えば「月に向かって吠える
オオカミ(犬の元祖)」であるので、「18:月」の犬たちが「アルテミス」の「猟犬たち」
であるという連想は、そんなに難しくはありませんが、なんか違和感がありますよね。

そもそも、ゴールデン・ドーンの理論においては、この「18:月」の犬たちは、「猟犬」
ではなく「番犬」とされていますし、それゆえ野蛮でも未開でもなく、知性を備えた存在
とされています。

「コフの小径」は、「ネツァク」という進化の途中で「マルクト」へと分岐する「小径」
ですので、知性面で成熟しきれていないというのはあるかもしれませんが、それを野蛮や
未開と表現するのは、ちょっと違和感がありますよね。
0234名無しさん@占い修業中
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2017/07/22(土) 06:28:07.42ID:Lf9diTfw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
This is a primitive Path, one of raw animal nature.
これは、原始的な「小径」であり、生々しい獣的な天性の1つである。

It is a Path of animal instincts (the law of the jungle), passions and energies
uncontrolled by intellectual, moral or ethical considerations.
それは、知的な、道徳的な、もしくは倫理的な考慮たちにより抑制されていない、獣的な
「本能たち(密林の掟)」、熱情たち、そして精力たちの「小径」である。
--- ここまで ---

なんか、えらい言われようですので、改めて言っておきますが、この「コフ/月の小径」
に関する考え方は、クロウリー氏の拡張理論とウォン氏の再拡張理論によるものであり、
ゴールデン・ドーンの標準理論ではないことに、くれぐれもご注意ください。

つまり、これは「アルテミス」と、その「猟犬たち」の獣性、そして「ネツァク」の持つ
「本能たちと感情たち」の属性からの連想だと思うのですが、そういう意味でも、この
トート版の「18:月」って、やっぱり何か違和感ありまくりなんですよね。

まあ、そういった違和感を持つのは、ワタシがこの「18:月」を、お気に入りのカードの
一つとして見ているからに他ならないわけなんですよね。
この「18:月」のカードには、確かに「獣性」というものは潜んでいるのですが、それは
あくまでも制御すべき対象であり、「マルクト」に住む我々にとっては、「タウ/宇宙の
小径」や「シン/審判の小径」と同じように、きちんとその性質を理解した上で、身体的、
精神的なバランスを保ちながら、うまく活用していくべき対象なわけです。

そういう意味でも、この「18:月」は、動物としての人間が持つ、抗いようのない生物的
な獣性をうまくコントロールするための「肉体的かつ精神的な癒し」の鍵となる、とても
重要な位置にあり、そして重要な意味を持つカードであるわけです。
ただし、それを理解し制御することは難しいことであり、それゆえ暴走しがちな面もある
のですが、その暴走の責任の一端は、「マルクト」にいる我々自身にあるんですよね。
0235名無しさん@占い修業中
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2017/07/23(日) 06:46:03.07ID:cbLZw6XJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
This can be a very cruel Path, showing us aspects of ourselves which society forces
us to repress, but which are an integral and undeniable part of our human make-up.
これは、非常に無慈悲な「小径」であることがあり、我々に、社会が我々に抑圧することを
強いるが、しかし我々人間の化粧の不可欠で否定できない部分である、我々自身の様相を
示している。

Yet we approach the images and lessons of this Path with our whole being, applying
reason to that which we encounter, as we apply feeling to that which is encountered
on the Path of JUDGMENT.
さらに我々は、我々が感覚を「審判の小径」の上で遭遇するそれに適用するのと同じように、
我々が遭遇するそれに理由を適用することで、我々全体の存在と一体になって、この「小径」
の映像たちと学課たちに取り組む。
--- ここまで ---

このあたりの考え方は、どちらかというとウェイト版に近いものであり、人が人として
社会生活を営む上で、深層心理の奥底にじっと潜んでいる動物的な本質を、このザリガニ
が表すとされているのですが、ウェイト氏って、肝心な部分は書いていないのです。

要は、ウェイト版の思想自体は、おそらくゴールデン・ドーン版と同じようなものですので、
この「社会的に抑圧されるべきもの」を、きちんとした道筋で解放していくことが、この
「18:月」のカードの使命のような感じになるわけですよね。

とはいえ、この「コフ/月の小径」は、肉体である「マルクト」に繋がる3本の「小径」の
うちで最後となるものですので、並みの人間には、そう簡単には理解できるようなシロモノ
ではありませんし、トート版のように、虚構と妄想が入り混じる真性ド変態な場所ですし、
それゆえ変に誤解して、あらぬワキ道へと走ってしまう人も多くいるわけですので、我々
のような一般人は、あまり深く立ち入らない方がいい場所でもあります。

つまり、人間社会では、「社会的に抑圧」されて生きていく方が幸せってことなんですよね。
0236名無しさん@占い修業中
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2017/07/24(月) 06:15:08.25ID:XLDXjoRX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
THE MOON is one of the cards for which tradition has provided a very definite structure,
both the Golden Dawn and Waite cards being wholly dependant on the design shown
in the Marseilles version: Two dogs (in Waite's deck they are a dog and a wolf)
stand threateningly beneath a personified moon, between two desolate towers.
「月」は、伝統が、非常に明確な構造を提供し続けているカードたちの1つであり、ゴール
デン・ドーンとウェイト氏のカードたちは、マルセイユ版において示される図案に完全に
依存している :2匹の犬たち(ウェイト版デッキにおいては、それらは犬とオオカミである)
が、2つの荒涼とした塔たちの間にある、擬人化された月の下に、脅すように立っている。

A crayfish is in the water below.
ザリガニは下の方の水の中にいる。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「18:月」のカードのデザインは、マルセイユ版をベースとして
おり、それはウェイト版にも引き継がれています。
ちなみに、ウェイト版では犬とオオカミという違いは、ウェイト版のオリジナルではなく、
数多くあるマルセイユ版のバリエーションとして存在しています。

この「18:月」のカードは、「マルクト」に繋がる最後の「小径」であるわけですが、
この中には、人間は登場しません。
二本の塔も、おそらく人間が建てたものではありませんし、ザリガニの前に続く「小道」
も、人が通るようなものではなさそうです。

月の夜に、もぞもぞと水の中から這い上がる「ザリガニ」は、もちろん我々を意味する
ものであるわけですが、それが何であるのかは、謎に包まれたままです。
そして、その謎を解き明かすことが出来た者しか、この「母なる水」の中から抜け出る
ことは出来ずに、一生、快適で住み慣れた水の中で暮らしていくことになるわけです。
つまり、夜に外に出ると危ないので、暗くなったら出歩いてはいけません、という、
心配しがちな母親からのアドバイスなのです。←あながち間違いではないw
0237名無しさん@占い修業中
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2017/07/25(火) 21:00:40.82ID:K19OmfI0
またもやカキコできない状態に陥ってしまいましたので、
一旦ゴミ入れしてみます
0238名無しさん@占い修業中
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2017/07/25(火) 21:01:11.03ID:K19OmfI0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Here it is at least interesting to observe that in the Marseilles version no Path
is shown, and it is only by inference that one realizes that the crayfish will
eventually pass between the two very ferocious dogs.
ここでは、マルセイユ版においては「小道」が示されないことに気づくことが少なくとも
興味深く、それは単に、推定により、人は、最終的にはザリガニが2匹の非常に獰猛な
犬たちの間を通過するであろうということを理解するだけである。
--- ここまで ---

このゴールデン・ドーン版の「18:月」のカードの、真ん中に描かれた「Path/小道」は、
いつものように、『暗号文書』の36枚目に描かれているもので、『The Golden Dawn/
黄金の夜明け魔術全書』の「第二講義文書」にある、「生命の木」を下から上へとよじ登る
「知恵の蛇」を表しています。

要するに、この「ザリガニ」は、まだ「マルクト」という出発点にいるわけです。
そして、
・水からの脱出(第一ステージ)
・犬からの脱出(第二ステージ)
・崖を登る(第三ステージ)
というバトルステージを経て、経験値を積み脱皮を繰り返しながら、新しい形態へと進化
していくという、壮大なるRPGが待っているということなんですよね。

でもまあ、主人公が「ザリガニ」の姿から始まるというのは、なかなか面白いアイディア
ではあるのですが、この「ザリガニ」には、最終的には、宇宙全体を救済する「真の勇者」
になるという、お約束の鉄板あるあるストーリーが待ち受けているわけです。

つまり、そういう真のヒーロー/ヒロインだけが通過できるという、どんな試練であっても
立ち向かえるような「選ばれし者」のためにある「小径」であるということも言えます。
そういう意味では、あんまり努力せずに眺めているだけにしておいて、冷たい水の中で
のんびりと生きていきたいなぁ、とか思っているわけなのでした。←努力の足りない人w
0240名無しさん@占い修業中
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2017/07/26(水) 05:18:43.66ID:+yODv8sY
なんで離婚してマツイと結婚してやらなかったんだ?
マツイは遊びだったのか。ひとでなしのクズ
0241名無しさん@占い修業中
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2017/07/26(水) 06:19:22.21ID:1PSrUt9e
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Mathers and Crowley were in agreement that these should actually be considered the
jackals of Anubis, the scavengers of the dead.
マサース氏とクロウリー氏は、これらは実際、死体を食べる動物である、「アヌビス神」の
ジャッカルたちと考えられるべきであるということで意見が一致している。

Anubis was the jackal god, and the great god of the Underworld, charged with both
the judgment and the embalming of the deceased.
「アヌビス神」は、ジャッカルの神であり、そして死者の審判と死体防腐処理の両方を
担当する、「黄泉の国」の偉大なる神であった。
--- ここまで ---

死者蘇生のイベントは、「生命の木」においては「20:審判」がメインとなっていますので、
この「18:月」における「アヌビス神」は、ネタかぶりとなってしまっています。

つまり、この「jackals of Anubis/アヌビス神のジャッカルたち」は、単純に「死者」を
迎え討つ目的で、ここに出張してきているわけではないということが推測されます。
そして普通に考えれば、
・一般人が生きたままで通れる小径=「21:宇宙」
・一般人が死者となって通る小径=「20:審判」
・一般人ではどうやっても通れない小径=「18:月」
という解釈となりますので、この「コフ/月の小径」を、一般人が生きたままで、もしくは
死んでから通ろうとすると、それを死体の如く貪り食って、ここから先には通さないという
役割ではないかと想像できます。
じゃあ、誰なら通れるのかと言われても、一般人のワタシには、ちょっと想像できないです。

ちなみに、この二匹のジャッカルは、その背後にある二基の塔、「the Gates of the East/
東の門」と「the Gates of the West/西の門」の守護者であるということですので、
狛犬のように、上位世界を守る門番としての役割を持っているということになりますかね。
0243名無しさん@占い修業中
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2017/07/27(木) 06:14:18.85ID:wrCU+A8w
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
In the Tarot this means the natural deterioration of the physical body in death,
the return of its energy into the unseen, as well as a suggestion of correspondence
with the Path of Shin, JUDGMENT.
「タロット」においては、これは、「シン、審判の小径」との一致の暗示だけでなく、
死における物質的な身体の自然劣化、その精力の見えざるものへの返還を意味している。

The implication is that the activity of natural forces on the body in death is
concurrent with the "weighing of the soul" on that Path.
暗示しているものは、死における肉体の自然な力たちの活動は、その「小径」の上で
「魂の重さを計ること」と同時であることである。
--- ここまで ---

ウォン氏は、何か「死」へのこだわりがあるようですが、いずれにしろ、「マルクト」に
ある我々の肉体の中に閉じ込められた魂は、死後には「21:宇宙」、「20:審判」、そして
「18:月」を経由して、上位世界へと還っていきます。
そういう意味では、この「18:月」も、死後の世界を意味しているのですが、それは
「18:月」のごく一部の機能です。
そもそも、マサース氏もウェイト氏もクロウリー氏も、そんな葬式宗教みたいな世界観で、
このカードを語っているわけではないですしね。

基本的には、「陽」である「20:審判」と対をなす「もう一つの世界」、すなわち「陰」
である「18:月」という対比で見る方が、しっくり来ると思います。
つまり、「20:審判」の真ん中の子供は、「18:月」における「ザリガニ」であり、
「20:審判」の左右の男女は、「18:月」における「アヌビス神のジャッカル」であると
いう構図なのですが、「20:審判」が、やけに暑苦しい天国的な雰囲気なのに対して、
「18:月」は、かなり冷酷な地下世界的な雰囲気があるということです。
まあ、ヒーロー的なルートを求めるのであれば「20:審判」ですし、アンチヒーロー的な
ものを好むのであれば、「18:月」を通れば、そういう茨の道を辿る、闇墜ち的な
ストーリーが待ち受けているわけなのでした。(じゅるりw)
0244名無しさん@占い修業中
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2017/07/28(金) 06:08:30.33ID:Sg0iRTQF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Anubis is a very complex god of lunar opposites, as is suggested by Crowley's dual
figures.
「アヌビス神」は、 クロウリー氏(のカード)の双対の人物像たちにより示唆されるように、
月の正反対のものたちの非常に複雑な神である。

Anubis is a god of light and of darkness, of death and of resurrection, whose cult
was a fascination to those ancient societies in the shadow of Egypt.
「アヌビス神」は、光と暗闇の、死と復活の神であり、彼への信仰は、エジプトの陰の中に
ある、それらの古代の社会たちにおいて魅力であった。

Describing the subtleties of this deity's cult to the Romans, Plutarch wrote:
この神の信仰の微妙な点たちを、ローマ人に説明するのに、プルターク氏は以下のように
書いた:
--- ここまで ---

クロウリー氏のカードは、二匹の「アヌビス神のジャッカル」に飽きたらずに、影分身した
双対の「アヌビス神」も描いていて、主役のはずだった「月」を、完全に蚊帳の外に追い
やってしまっています。
結果的に、ゴールデン・ドーン版やウェイト版とは、その解釈が「微妙に」異なってしまう
ことになるわけですが、クロウリー氏の、このカードに対する、あまりにも「闇の世界」を
重視してしまう解釈は、このカードの持つ闇属性が、彼自身の持つ心の闇に強く響くものが
あったのではないかと想像します。

それゆえ、この「月」のモチーフは、昔から、心に大きな闇を抱える多くの人の心を掴み、
そして彼らを「月の小径」に誘い込んで「闇堕ち」させてしまうという典型的なパターンに
なっていくわけですが、そういう意味でも、このトート版は、見事にその「外道」っぷりを
発揮しているのではないかと思うのでした。(もちろん、いい意味でw)
ただ、個人的な趣味や興味はともかくとして、実用性という意味においては、この闇堕ち
必至のトート版は、善良な一般人に対しては使っちゃいけないよなぁ、と思うのでした。w
0245名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/29(土) 07:34:26.02ID:BXW2cAcH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
By Anubis they understand the horizontal circle, which divides the invisible part
of the world, which they call Nephthys, from the visible, to which they give the
name Isis; and as this circle equally touches upon the confines of both light and
darkness, it may be looked upon as common to them both - and from this circumstance
arose that resemblance which they imagine between Anubis and the dog, it being
observed of this animal, that he is equally watchful by day as night.
「アヌビス神」により、彼らは、彼らが「ネフティス女神」と呼ぶ、世界の見えざる部分を、
見えているものから、彼らが「イシス女神」の名を与えているものまで分割している、
水平の円を理解する;そして、この円が光と闇の両方の境界たちに等しく触れることで、
それらの両方に共通するものとして見られうる。 − そして、この状況から、「アヌビス神」
と犬の間で、それが、この動物の観察される昼も夜も同様に警戒することで、彼らが想像
しているその類似が生じる。

In short, the Egyptian Anubis seems to be of much the same power and nature as the
Greek Hecate, a deity common both to the celestial and infernal regions. (*118)
要するに、「エジプト」の「アヌビス神」は 、天国と地獄の領域たちへの両方に共通の神
である、「ギリシャ」の「ヘカテ女神」と同じような力と性質の多くであるようである。 (*118)
--- ここまで ---

ちなみに、(*118)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
118. Budge, Gods of the Egyptians, v. ii, 264.
118. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第2巻、264ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要は、もう全部「アヌビス神」一人でいいんじゃないかな、的なノリになってしまっていて、
これ以上の説明は不要の、究極無敵状態の神ということですよね。
まあ、余計な説明をしなくていいのは、助かりますが。w
0246名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/30(日) 07:43:18.56ID:Gsd26Opw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Pursuant to the idea of Anubis and resurrection, there is a definite relationship
to the Christ legend.
「アヌビス神」と復活の考え方に従って、そこには「キリスト」の伝説との明確な関係がある。

It can be said, however whimsically, that in an obscure medieval symbolism the
lobster is a symbol of the risen Christ. (*119)
どんなに気まぐれであったとしても、目立たない中世の象徴主義において、ロブスターが、
甦った「キリスト」の象徴であると、言われることがある。 (*119)
--- ここまで ---

ちなみに、(*119)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
119. This idea appears to have originated with the German poet, Conrad of Wurzburg,
who observed that both the lobster and Christ were more beautiful after death.
Reau, L’Art Chretien, v. I, 88.
119. この考え方は、ヴュルツブルクのコンラッド氏による、ドイツの詩を起源としている
ように思われ、彼はロブスターと「キリスト」の両方が、死んだ後の方がより美しいと
述べた。レオー著、『キリスト教の芸術』、第1巻、88ページ。
--- ここまで ---
とあります。

いきなり(淡水産)ザリガニから(海水産)ロブスター(イセエビ)に話が飛びますが、
生のままの赤褐色の(淡水産)ザリガニや(海水産)イセエビ(ロブスター)よりは、
朱色に茹で上がったザリガニやイセエビ(ロブスター)の方が、よりおいしく、いやいや、
より美しく見えるので、ザリガニとキリストは同じである、ということなのですが、かなり
論理的には無茶がありますし、そもそも、それをキリストの復活にたとえるのは、いささか
不謹慎なようにも思えます。

とはいえ、このザリガニの肉は、小道の途上で、食われる運命にあるんでしょうね。 (-人-)
0247名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/31(月) 06:15:54.77ID:EtNOr2Iq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
And, one must be exceedingly cautious in dismissing such symbolism out of hand,
because of the Tarot's very elusive, but unquestionably medieval, origins.
そして、人は、「タロット」の非常に捉えづらいものではあるが、疑いなく中世にある、
その起源のために、手に負えないそのような象徴主義を却下することに対して極度に慎重で
なければならない。

In the fourteenth century every symbol, however occult, was related to Christ.
14世紀においては、全ての象徴は、どんなに神秘的なものであったとしても、「キリスト」
に関連した。
--- ここまで ---

まあ、「ロブスター」が赤いのも、郵便ポストが赤いのも、全部「キリスト様」のおかげ
であるかもしれないということなのですが、さすがにこれは言い過ぎですよね。

とはいえ、この「ザリガニ」と「キリスト」の関係性というのは、あながち全面否定される
ようなものでもないわけです。
なぜなら、「キリスト」は、肉体を失った後、その魂が「マルクト」から「ティファレト」
へと昇った人物であり、そして一般人とは異なる経路、すなわち「21:宇宙」や「20:審判」
ではなく、「18:月」を遡って「ティファレト」に到達した可能性も捨てきれないわけです。

ただ、「キリスト」のように、死んでから復活というコースは、どうしても「20:審判」と
カブってしまうので、どちらかというと、経験値を上げて守備力をMAXにし、肉体を堅固な
殻の中に閉じ込めたままで昇天するというストーリーの方が需要があるかもしれません。

でもまあ、最終的には、そういうA.T.フィールド的なものは解放され、純粋な魂とならなけ
れば、この「小径」を最後まで進むことは出来ませんが、とりあえず簡単に犬に食われ
ないようにするためには、途中までは、頑丈な鎧を纏うことは役に立ちそうな感じです。
そして、戦闘が終わった後、分厚い装甲を脱ぎ捨てて、新しい世界へと入っていくという
ストーリーが良いかと思います。←勝手な解釈w
0249名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/01(火) 06:19:00.86ID:MRU7GskY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
One way or the other, birth, death and resurrection are pivotal concepts on the
Path of THE MOON.
いずれにしろ、誕生、死、そして復活は、「月の小径」の極めて重要な概念たちである。

These are not symbolic processes; they are biological, and occur in the darkness
and the light of our sense perception.
これらは象徴的な過程たちではない;それらは生物学的なものであり、私達の感覚による
認識の闇と光の中に生じる。

The energy process, a cyclic wave motion, is shown by Crowley as a pattern of both
above and below, linked by the Beetle of the Sun.
周期的な波動である、精力の過程は、「太陽の甲虫」により関連付けられて、上と下の両方
の様式と同様に、クロウリー氏により示される。
--- ここまで ---

「18:月」の、クロウリー氏のネガティブな解釈は、あまり好みではありませんが、そうは
いっても、「birth, death and resurrection/誕生、死、そして復活」が「18:月」の持つ
自然のサイクルと関係しているというのは、間違いのないことですので、その月の周期が、
「月経」という女性のサイクルに関係付けされているのも、間違いではありません。

ただ、「18:月」って、それだけを強調するのは、なんか違うんですよね。
この「生命の木」の下層にある「ネツァク」、「ホド」、「イェソド」、「マルクト」は、
有機的に結びついているので、それらを繋ぐ「小径」も、それぞれの役割を分担しながら
有機的な関係性を持っています。
つまり、「18:月」のカードだけで、クローズドで完結した「光と闇の交差する世界」を
作るのではなく、もうちょっと広い視野で、「生命の木」全体のサイクルというか、上から
下へのエネルギーの流れというものを感じてほしいなぁ、と思うのでした。
そう、「誕生、死、そして復活」という三本の人生のコースには、それぞれの状況に応じた、
「マルクト」に通じる「三本の小径」があるわけですからね。
0250名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/02(水) 06:15:38.82ID:JUe2LJPt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
To reiterate the meaning of this murky Path in the most simple of terms: this is
the natural energy from which our physical bodies develop in the womb.
最も簡単な言葉において、この暗い「小径」の意味を繰り返し述べると:これは、子宮の
中で我々の物質的な肉体たちがそこから発育する、自然の精力である。
--- ここまで ---

はしょりすぎて誤解されやすい文章ですが・・・。

まず、「18:月」の「小径」の「natural energy/自然の精力」は、我々の想像するような
わかりやすいシロモノではなくて、あくまでも「天から授かった、かなり上位の世界から
降ってくるエネルギー」を受けて、下位世界に対してバックグラウンド的に「形」を与える
という意味において影響を与えるという、我々の目には見えず、感じることもできない
「ダーク・エネルギー」のようなものになります。

また、「18:月」の「小径」は、「in the womb/子宮の中」そのものでもないです。
ちなみに、肉体の一部である「womb/子宮」そのものは、「マルクト」に属します。
つまり、あくまでも「子宮内における個体発生」という「マルクト」での過程に関わる、
バックグラウンド・エネルギーの供給経路として、この「18:月」の「小径」が、
影ながら関わっているということです。

ただ、我々が、母なる子宮の中で、新たな精神と新たな肉体を持って、新たな「人」と
して発生するという過程は、いまだに多くの謎が秘められたままになっている領域です。
その神秘の過程を司る、最も基底的な部分を、この「18:月」が担っているということは
間違いないことであり、その神秘の過程を説き明かすことなくして、我々がここに存在
する意味を説明することも出来ないわけですよね。

まあ結局のところ、この「18:月」の働きというのは、とても根本的すぎて、我々のような
凡人には見えない世界での作用ですので、それを知っているからと言って、今のところは
どうなるというようなシロモノでもないということになるわけですよね。
0251名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/03(木) 06:17:59.03ID:FWmftPmL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
It is a process that is continual throughout our lives, as cells die and are replaced.
それは、細胞が死んで取り替えられながら、我々の生命たちの最初から最後まで継続的
である過程である。

The work of this Path is ended with the dissolution of energy back to its source,
which is Netzach.
この「小径」の作業は、精力を分離して、「ネツァク」である、その源泉に戻すことに
より終えられる。
--- ここまで ---

「マルクト」に繋がる「小径」の中で、この「18:月」は、我々にとっては、最もわかり
にくいものです。
それは、我々が通常は意識することのない、生命の基礎部分、つまり「バックグラウンド」
における「周期的」な活動がメインであり、言い換えれば、日々繰り返される「当たり前」
の出来事すぎて誰もそれに気づかないというか、たとえ気づいていても、自分の意志では
コントロールできないので、できれば触れたくない領域だからなんですよね。

そして、かろうじて、その通常意識には乗らない「何か」の存在を感じられるのは、新しく
生命が生まれ、肉体に魂が宿る時や、生命が失われて肉体から魂が抜ける時なのですが、
相当に注意しておかないと、これも「当たり前」のこととして見逃すことになります。

要するに、あまりにも「自然」すぎて、我々の日々の生活の裏側に溶け込んでしまっている
存在なのが、「マルクト」の活動を陰で支えている「18:月」なのですよね。

でも、「陰」ながら支えているとは言え、その「エネルギー」の潜在パワーは強大であり、
それ無くしては、我々の生命は存在することは出来ません。
それゆえ、物好きな者、いやいや目覚めた者は、それを我がものにしようと制御を試みる
のですが、有能な番犬たちが完璧な防御態勢に入っているせいで、そう簡単には自由に
させてくれないんですよね。w
0252名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/04(金) 06:09:28.25ID:dfZDS2yl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
To understand this Path is to understand the relationship of our personality-consciousness
to the physical vehicle built for each incarnation, a very difficult undertaking
for most people, who perceive themselves as having existence only through their
bodies.
この「小径」を理解することは、各々の肉体化のために作られた物質的な乗り物との、
我々の人格の意識の関係を理解することであるので、単に彼らの肉体たちだけを通して
存在しているとして、彼ら自身を認識している大多数の人々にとっては非常に難しい仕事
である。
--- ここまで ---

なんかいきなり、ハードルが上がってしまいましたが、今まで何度も言っているように、
ほとんどの人にとっては、この「18:月」の小径は、理解する必要は無いということです。

ついでに言うと、クロウリー氏のように、「月経」のイメージと絡めて、このカードの
意味を説明するのは、いまいち的外れであり、とにかく我々の意識のかなり深いところに
あるものですので、こちらとしても、非常に説明しづらいというか、そう簡単には理解して
もらいにくいシロモノなんですよね。
というか、そもそも説明すること自体、ワタシは放棄しています。←無責任w

そういう意味で、「マルクト」に接続する「小径」でありながらも、分かる人だけにしか
分からないという、実にオカルトチックなカードになっているわけですし、そもそも
「マルクト」に一端を据えておいて、いきなり「ネツァク」という上位世界までワープ
しようというような「超絶難度の束縛プレイ」になっていますので、最初からいきなり
クリアできる人なんて、まずいないわけです。

というわけですので、回り道ではありますが、まだ理解しやすいと思われる「ネツァク」
に繋がる「17:星」や「16:塔」のルートを先にクリアしておいてから、改めて、この
「18:月」のルートを攻略するという手もありますので、真面目に勉強してみたい人は、
そちらの迂回ルートの探索をお勧めしたいと思います。
0253名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/05(土) 06:50:05.43ID:AgWTDN8p
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
Here the meaning of the simple letter Qoph, sleep, gives an important clue.
ここでは、単字である「コフ」が「睡眠」であることの意味が、重要な手掛かりを与える。

During the cyclic phase of withdrawal of consciousness from the physical, most
people continue to act on information and fantasies closely related to their
bodily existence.
身体からの意識の撤退の周期的な段階の間に、ほとんどの人々は、彼らの肉体的な存在と
密接に関連した情報と幻想たちに従い続ける。
--- ここまで ---

「コフ」は、12ある「単字」の一つであり、その性質として、最もネガティブな様相で
ある「睡眠」が割り当てられています。

これは、一日の周期で言えば「深夜」であり、一月の周期で言えば「新月」であり、一年
の周期で言えば「真冬」であり、一生の周期であれば「死〜誕生」の「あの世」にいる期間
ということになります。

とはいえ、「睡眠=夢」ではないわけであって、「夢」を見るというのは、少なくとも
脳は活発に活動しているわけですので、ちょっとイメージが異なります。
どちらかと言うと、「夢」は「イェソド」とか「21:宇宙」に近い存在であり、「18:月」
での脳内意識は、ほとんど活動していないので、夢を見ることも難しい期間になります。

ただし、完全に「あっち側」の情報が遮断されているのかというと、そういうわけでも
ありませんので何とも言い難いのですが、結果的に、この境界領域においては、「臨死
体験」のような、色々な得体の知れないものが生まれてくる背景となっているわけです。

いずれにしろ、「18:月」は、「この世」ではなく「あっち側の世界」を強く意味するもの
となっており、「物質的な肉体にある意識」を離れる、すなわち「死」と同等のものを
要求しているわけですので、なかなかに難易度の高いものとなっているわけです。
0255名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/06(日) 06:40:35.70ID:BqJZKPdh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
Their dreams are filled with the shades of matter which, once consciously transcended,
is the conquest of the Path of THE MOON.
それらの夢たちは、物質の陰たちによって満たされており、一旦意識的に超越されれば、
それは「月の小径」の征服となる。
--- ここまで ---

ここは、少々誤解を招きやすいところです。
基本的には、ほとんどの「dream/夢」は、「イェソド」や「21:宇宙」のレベルにあり、
その本筋を補完するものとして、ポジティブな「火」の「20:審判」と、ネガティブな
「水」の「18:月」という脇道があるわけですが、この2つの「小径」は、一般人は通ること
のできない、「秘密の鍵で封印されし、禁断の門」でもあるわけです。

ちなみに、「18:月」の「水」による封印の先にあるのは「火」の「ネツァク」の、恐るべき
潜在エネルギーということになり、ヘタに開くと、地獄の業火により「マルクト」が焼き
尽くされる恐れもあるわけで、それを「月」が封印しているという構図になっているわけです。

そして、この「月」の封印の実体は、「the shades of matter/物質の陰たち」、すなわち、
この大宇宙においては、物質世界を陰で支配している、一種の「ダークエネルギー」という
ものが候補となりますし、小宇宙においては、「目に見えないもの、知覚できないもの」
ということになり、いずれにしろ、我々には全く知ることのできない、理解できないものを
指すことになっているわけです。

ということで、この「18:月」において、その一端は「マルクト」にありながらも、早くも
「理解を超えた世界」へと到達してしまったわけですので、ここから先の「小径の旅」は、
「完全に理解不能な領域」へと足を伸ばしていくことになるわけですが、逆にその方が、
やりやすいということもありますよね。
要は、ここから先は検証不能であり、全ては無責任なタワゴトであることが自明なわけです
ので、何を言っても許される、完全無欠のファンタジーの世界へと突入していくことになる
わけですからね。←さらに無責任な態度ww
0256名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/07(月) 06:16:24.50ID:5vEQeO2h
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
28. THE PATH OF TZADDI
28. 「ツァダイ」の小径

The Star


The Seventeenth Key
17番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ツァダイの小径」です。

とりあえず、ここから先は、もはや「地に足が着かない」場所となってしまうのですが、
空中遊泳は、既に「19:太陽」で経験済みですし、さらに「19:太陽」と対を成す存在です
ので、その点は、割と気が楽なのかもしれません。

「生命の木」は、リズムがありますので、「楽な小径」と「難しい小径」が交互に出現する
というパターンが、ところどころにあります。
つまり、「18:月」と「16:塔」という、ちょっとアレな「小径」たちに囲まれた「17:星」
は、割と気軽に楽しめる場所という順番なんですよね。

ちなみに、「イェソド」に繋がる「21:宇宙」、「19:太陽」、「17:星」の「小径」には、
それほどの困難さは無いわけですので、上位世界の「ホド」や「ネツァク」へは、まずは
「イェソド」経由で行ってみて、その後に、「20:審判」や「18:月」や「16:塔」の「小径」
を探るというのが、割とオススメのコースとなります。
まあ、「急がば回れ」ということなのですが、「生命の木」という難攻不落のダンジョン
攻略法の一つの手法ですので、皆さんも色々と自分で工夫しながら、楽しんでみてください。
0257名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/08(火) 06:24:24.56ID:Ry3iJNe7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
□ PATH COLOR: Violet
□ 「小径の色」:「スミレ色」

□ RELATED SOUND: A-Sharp
□ 「関連した音」:「Aのシャープ」

□ SIGN: Aquarius (Fixed Air)
□ 「宮」:「宝瓶宮(不動宮の空気)」

□ MEANING: Fish Hook
□ 「意味」:「釣り針」

□ SIMPLE LETTER: Imagination
□ 「単字」:「想像」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Firmament; the Dweller between the Waters.
□ 「秘伝的な称号」:「天空の娘;水たちの間の住人」。
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「宝瓶宮」の占星術記号と、ヘブライ文字の「ツァダイ」
と、「釣り針」、および「生命の木」における「ツァダイの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。

「生命の木」全体のイメージとして、上から下への流れという暗示があるのですが、この
「17:星」においては、その流れが明確に示されています。
つまり、「タダでもらえる」ことが大好きな○○ども、いやいや一般的な人間においては、
ここにはとても良いものがあるというイメージがあるわけです。
でもまあ、そんな夢みたいな話は現実には無いわけですので、あくまでも「Imagination/
想像」上の「Firmament/天空」での「釣り」ネタであることを、理解する必要があります。
0258名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/09(水) 06:15:39.99ID:hi35Md2j
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-eighth Path is called the Natural Intelligence,
and it is so-called because through it is consummated and perfected the Nature
of every existing thing beneath the Sun.
「知恵の32の小径たち」:「28番目の小径」は「天性の知性」と呼ばれており、そして
それは、「太陽」の下に存在する全てのものの「天性」は、それを通じて達成され完成
させられるがゆえに、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

この「小径」は、「ネツァク」の「Nature/自然or天然」のエネルギーーを効率的に下位層
へと、すなわち「イェソド」へと引き下ろすための経路となります。
そして、「イェソド」において「ホド」のエネルギーが「19:太陽」を通じて混合され、
化学変化を起こした後、「マルクト」へ供給されるというのが、基本ルートとなります。

ちなみに、「星」の見え方には、地球の公転運動による季節変化があるので、この「17:星」
についても、「太陽」にまつわる、何らかの周期が隠されていると見るのが妥当です。

いずれにせよ、「17:星」と「19:太陽」は、互いを補完するライバル関係になっており、
「18:月」以上に、お互いに重要な働きを持っていると見ておく必要があるわけですよね。
つまり、「17:星」が天然キャラで、「19:太陽」が知的キャラで、そこに「18:月」の神秘
キャラが割って入るような感じになっています。

まあ、大アルカナは、どれも個性が強いので、キャラ作りには苦労はしないのですが、
セリフを喋らせようとすると、ツンデレ感がハンパないというか、人間が分かる言葉では
なかなか喋ってくれないことが多くて、「ふん、そんなこと自分で考えなさいよ!」と
冷たく突き放される感じが、たまらないのでした。←ドMの至福感w
0259名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/10(木) 06:16:47.76ID:ViTp8LNz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The Path of Tzaddi, THE STAR, connects Netzach (Victory) with Yesod (The Foundation).
「ツァダイの小径」である「星」は、「ネツァク(勝利)」と「イェソド(基盤)」を
接続する。

It is a very powerful Path which points out the way in which the Divine Energy
inherent in each individual is properly approached.
それは、各々の個人に内在する「神の精力」が、適切に接近される方法を指摘する、
非常に強力な「小径」である。
--- ここまで ---

「マルクト」にいる我々に密接に関係している、「生命の木」の下層の「セフィロト」で
ある、「ネツァク」、「ホド」、「イェソド」、そして我々の「マルクト」を繋ぐ「小径」
のうちで、特に太くなっているのが、「21:宇宙」「19:太陽」「17:星」になります。

「イェソド」は、「マルクト」に至る最終的な「センター」として、「ティファレト」、
「ネツァク」、「ホド」からの上位エネルギーを受け取り、それを変換して「マルクト」
へと流すのですが、その中で、この「ネツァク」の「自然or天然」なエネルギーは、
ちょっと毛色の違ったものというか、頭ではわかりづらいものとなっています。

基本的には、「ネツァク=火」が「17:星=水」を通じて「イェソド=空気」と、それに
対を成すように、「ホド=水」が「19:太陽=火」を通じて「イェソド=空気」に流れ込む
という構図なのですが、それと同様に、「ネツァク=火」が「18:月=水」を通じて、
そして「ホド=水」が「20:審判=火」を通じて「マルクト=地」に流れ込むという、
バイパスした経路もあるわけです。

そういう様々な経路のうちで、この「17:星」の小径におけるエネルギー流は、かなり
大きな流れではあるのですが、かなり奥深いところにある流れですので、その存在は、
我々にとっては、そう簡単には意識に上って来ないというか、いまいちなんか掴みどころ
のない感じでもあるわけなんですよね。
0261名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/11(金) 08:16:45.28ID:IC06Nqng
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The letter Tzaddi means fish hook, implying meditation, a process closely linked
with the use of imagination.
文字「ツァダイ」は、「釣り針」を意味しており、瞑想、つまり想像力の活用と密接に
結び付けられた過程を暗示している。

In these terms meditation is described not as taking-out of something, but as a
putting-in (merging) of two streams of individual consciousness with the greater
consciousness.
これらの言葉たちにおいて、瞑想は、何かを取り出すことではなく、より大きな意識と、
個々の意識の2つの流れたちの投入(合流)として評される。

And while this is a path of primal intuition, the vessels represent a separation
and then reintegration of the Chokmah force (feelings and intuition, at this
level) and Binah force (intellect).
そして、これが主要な直観の小径である一方で、容器たちは、「コクマー」の力(この段階
においては、感情たちと直観)と、「ビナー」の力(知性)の、分離と、その後の再統合を
象徴する。
--- ここまで ---

「ツァダイ」が「釣り針」ということで、数多くの香ばしい方々が、ここを目指して、
釣られに集まってくるという、ネタ的には、とてもおいしい場所となっています。

そういうわけで、ここは「ネツァク」に対抗する「ホド」の絶妙なバランス感覚に期待
したいところですが、「ネツァク:感情と本能」の「17:星」の裸の女性像に対抗する
ものとして、「ホド:知性」が「19:太陽」の裸のロリショタ像という退行状態を持ち
出してきているので、たとえ上から目線で「14:節制」が何を言ってきても、もう誰にも
瞑想の迷走は止められないと思うのでした。
まあでも、こういうイケナい妄想が捗るのは、ここが最後ですし、少々ハメを外しても
いいかな、とか思ったりもするのでした。←感情と本能を優先ww
0262名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/12(土) 08:01:04.02ID:JDGpwSi5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The symbolism of the fish hook in meditation is easily extended to the Tree of
Life: The Hook (Tzaddi, THE STAR) is put into the waters of Mem (THE HANGED MAN)
to catch the fish (Nun, DEATH).
瞑想における釣り針の象徴主義は、「生命の木」に容易に拡張される:「かぎ針(ツァダイ、
星)」は、魚(「ナン、死」)をつかまえるために、「メム、吊られた男」の水域に入れられる。

Water is, again, a symbol of consciousness.
水は、さらにまた、意識の象徴でもある。

As we experiment with meditation and imaginative visualization, casting ourselves into
the Universal Sea, we seek an understanding of the very processes of life and death.
我々は、瞑想と、想像力豊かな視覚化により、我々自身を「普遍的な海」の中に投げ入れる
実験を行いながら、我々はまさしく生と死の過程たちの理解に努める。
--- ここまで ---

「ツァダイ」の意味が「釣り針」ですので、ここでは「釣り」をネタにした色々な妄想の
心得、いやいや瞑想の指南が語られています。

まあ、夜空には「星」があり、下には「水」があり、さらに「素っ裸の女性」が水瓶を
かついで水を流しているという、もはやツッコミどころしかないという構図になっています
ので、我々も遠慮無しに、釣られてしまっても良いかな〜、とか、色々とイケナい妄想を
してしまいますよね。

まあ、一般人が生きたままで立ち入れる範囲は、せいぜい「イェソド」までですので、
この「17:星」がアプローチ可能な「最後の小径」ということで、その雰囲気を精一杯
楽しんでおくというのも大事なことだとは思うのですが、ほとんどの人は「イェソド」内
での妄想だけで終わってしまいがちであって、そう簡単には「17:星」の「小径」の領域
には立ち入れていない、ということにも注意しておく必要があります。
でもまあ、それなりに楽しめれば、それはそれで何も問題は無いんですけどね。
0263名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/13(日) 06:26:00.18ID:P5ERT2YT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The Thirty-Two Paths of Wisdom describes this Path as the Natural Intelligence,
suggesting the raw forces of nature attributed to Netzach; the Elohim (Gods of
Netzach) are synonymous with nature itself.
「知恵の32の小径たち」は、この「小径」を「天性(自然)の知性」として評しており、
「ネツァク」に帰属される自然の生の力を提案する;「エロヒム」(「ネツァクの神々」)
は、自然それ自身と同義である。

Moreover, this Natural Intelligence is related to the energies symbolized in
another card, STRENGTH.
さらに、この「天性(自然)の知性」は、別のカードである「力」に象徴される精力たち
に関連している。

The number of THE STAR, 17, reduces to the number of STRENGTH, 8.
「星」の17の番号は、「力」の8の数に縮小する。
--- ここまで ---

「マルクト(そしてたまにイェソド)」にいる我々から見れば、「ネツァク」からの
エネルギーは、主に「17:星」の経路を通じて、下流へともたらされてきます。
その主な性質は、「エロヒム」、すなわち「天(天使たち)からの授かり物」であって、
そしてそれは「自然」や「直観」や「本能」と解釈されるわけで、一体これのどこに
「知性」があるんだと言う人もいるわけですが、そこは、「知性にも多様性を認めろ!」
とか「天然ちゃんを差別すんな!」という某人権派の意向を都合よく取り入れることで、
突破したいと思います。

ついでに、さらなる無茶ぶりとして、ここに「8:力」のカードのエッセンスを加えて、さらに
異なる方向へと話を展開してみようというのが、ここでの試みです。
こういう迷走を通じて、瞑想のネタを探索していくというチャレンジは、とても重要です。
とりあえず使えるものは使って、色々なものを通じて影響を及ぼしたり、及ぼされたりする
ことを妄想していくのが、「生命の木」を使う上での醍醐味でもあるわけですからね。
0264名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/15(火) 06:43:35.60ID:VFLuRLJH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
That card represents the conscious control of Kundalini energy, variously described
as solar and as sexual.
そのカードは、「太陽」や「性的」として様々に評される、「クンダリニー」の精力の
意識的な管理を表す。

We recall that the serpent Kundalini (the same which tempts Eve on the Tree of
Knowledge of Good and Evil) is said to be "coiled in Yesod," although when it
is shown on the Tree of Life it touches each and every Path.
我々は、蛇の「クンダリニー」(「善と悪の知識の木」の上で「イヴ」を誘惑するものと
同じもの)が、「生命の木」においてそれが示される時は、それがそれぞれ全ての「小径」
に触れるけれども、「イェソドにおいてコイル状にされる」と言われていることを思い出す。
--- ここまで ---

ここで「太陽」との関連について述べていますが、ここは「19:太陽」と「17:星」の関連
というよりも、占星術の「太陽」を支配星とする「獅子宮」に配属される「8:力」のカード
との関連についての考察です。

ちなみに、「クンダリニー」のネタは、主にトート版でのものであり、それゆえ、それに
関係する「11:力(獅子と裸女)」と「17:星(水と裸女)」と「21:宇宙(蛇と裸女)」は、
トート版においては、似たようなエロ目線、いやいやモチーフで表されています。
(ただし、トート版は、「力」は8でなく11ですので、前項の説明とは相違しますが、
それは見なかったことにしておきます。)

とはいえ、聖書中の「イヴ」自体は、もっと下の次元の存在ですので、この「17:星」の
女性像は、「イヴ」ではなく、もっと上位の「○○を象徴する女神」という位置付けで
あり、そして「クンダリニー」に関連する解釈については、クロウリー氏の『トートの書』
などを参考にしてもらう方が良いかと思います。
いずれにしても、トート版の解釈は、元となるゴールデン・ドーン版とはかなりの相違が
ありますので、混同しない方が良いかと思いますので。
0266名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/16(水) 06:18:55.29ID:f5ZYBfXI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
As we encounter the Kundalini force, the sexual energies in ourselves, we approach
the Greater Mysteries of Tiphareth, the Solar Logos which is the central star of
our existence.
我々が、我々自身の内の性的な精力たちである、「クンダリニー」の力に遭遇するにつれて、
我々は、我々の存在の中心的な星である「太陽のロゴス」である、「ティファレト」の
「より大きな神秘的教義」に近づく。

The process of approach is a kind of yoga, involving the ennervation of centers of
energy.
接近の過程は、一種のヨガであり、精力の中心たちの神経支配を伴う。
--- ここまで ---

「クンダリニー」の「イェソド」から、いきなり「太陽神経叢(たいようしんけいそう)」
の「ティファレト」へと話が飛びましたが、要は「エロス=性」をとことん追求していくと、
「ロゴス=聖」に到達できるという、一般人にはいまいち理解できない「月とスッポン」の
理論になっています。

そして、その「エロス」から「ロゴス」への経路として、この「17:星」が関係していると
いうことですので、「エロ好き」なオカルト修行者が好んで使うのが、この「17:星」である
ということですが、まあ、それについては、ある程度納得できると思います。

その方法として紹介されているのは、「a kind of yoga/一種のヨガ」、つまり肉体を通じ
て精神をコントロールすることで、内なる「クンダリニー」の力を覚醒させていくという、
結構危険な方法ですので、一般人は、こういうのには手を出さない方が無難ですね。
「クンダリニー」の大いなる力を解放できたとしても、使い道が無いですし・・・。

とりあえず、我々は、主に脳内妄想、いやいや精神的な「瞑想」を通じて、この「17:星」
からにじみ出てくる「エロス」に関する潜在エネルギーを、じっくりと時間をかけて堪能
していくのが良いかと思います。(エロ目線の鑑賞には、焦りは禁物なのですw)
0267名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/17(木) 06:27:31.08ID:AzlGbfaT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
It is this energy which we use in the meditation process; it is both the means
and the goal of enlightenment, for, as the text states of Tzaddi: "Through it is
consummated and perfected the Nature of every existing thing beneath the Sun."
それは、瞑想の過程において我々が使用する、この精力である;というのは「ツァダイ」
の原典が以下のように述べているように、それは、悟りの手段と目標の両方である:
「それは、「太陽」の下に存在する全てのものの「天性」は、それを通じて達成され完成
させられる」

THE STAR is the means of perfection; it is the method.
「星」は完成の手段である;それは方法である。
--- ここまで ---

要するに、「21:宇宙」では、まだ完全には全身を見せていない女神を、完全に丸裸の
「Nature/生まれたままの姿」にしようというのが、「17:星」の目的であり、手段でも
あるということです。

もちろん、これはあくまでも象徴ですので、この全裸の女神は、実際には「自然の摂理」
とか「宇宙の法則」というような、かなり「お堅い世界」の話になるわけですが、それは
一般人にとっては、どうでもいい話ですので、どちらかというと「エロ目線」寄りで妄想
を膨らませたいところなのですが、ここまで「生命の木」を昇ってくると、なかなか肉体的
なものには結びつかないというのが悩ましいところです。
もちろん、「ネツァク」は「愛」、愛情とエロスの星である「金星」、そして「感情と本能」
を司るセフィラであり、「17:星」の「小径」もそのエロい影響を受けてはいるのですが、
「小径」の次元は一つ上ですので、どうしても「物理的」よりは「概念的」なものになって
いて、なかなか使いづらいというのが、悩ましいところです。
本来、「エロス」を感じるためには、「オカルト」すなわち隠されたものが必要ですので、
そういう意味では「17:星」は、あくまでも「見えない」ものを「見えた!」と叫ぶための
手段や目的であって、その境地に達してしまうことについては、さほどの意義は無い
のかもしれませんね。
0269名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/18(金) 06:34:55.21ID:/OvPLfk2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
As Case states of this method: "Meditation is really a function of the EGO, which
raises to the conscious level the powers of the automatic consciousness of Yesod. . .
however much it may seem to us at first that meditation is a personal activity,
when we really succeed in meditation we discover that what happens is not that
we meditate, but rather that we are meditated." (*120)
ケース氏は、この方法について以下のように述べる:「瞑想は、本当に「エゴ(自我)」
の機能であり、それは「イェソド」の自動的な意識の能力たちを意識的な段階に引き上げる…
とはいえ、多くの者は、最初は、我々にとって、瞑想とは本人自らの活動であるように
思われるかもしれないが、我々が本当に瞑想に成功する時、我々は、起きていることは、
「我々」が暝想するのではなく、むしろ我々が「瞑想される」ことを発見する。」 (*120)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
120. Case, Tarot Fundamentals, 37.
120. ケース著、『タロットの基礎』、37ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この辺りの考え方は、デカルトの「我思う、故に我あり」に通じるものがありますよね。

「イェソド」は、もしそれが単独で存在するのであれば、それは「automatic consciousness
/自動的な意識」という、どちらかというと機械仕掛けのロボットの「マルクト」の
肉体を制御する、「自動化プログラム」というような位置付けとなります。
つまり、「高次の自我」は無くても、「個」として自律した人間として普通に成立するの
ですが、それでは「虫」や「動物」や「ロボット」と同じようなものです。
人が他の生き物と違うのは、「我とは何か」という問いかけができ、それを解明するために
努力ができるという点なのですが、その一歩となるのが、我々を、はるか上から見下して
いる「高次の自我」というものの発見ということなのですよね。
0270名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/19(土) 07:00:49.24ID:QQ+9UM8t
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The idea is that the Higher Self (what Case is calling the Ego) brings the Personality
into meditation.
考え方は、「高次の自我」(ケース氏が「エゴ(自我)」と呼んでいるもの)が、「人格」
を瞑想に至らせることである。

The "fish hook" is partially the search of the Personality consciousness for reality
in the context of meditation, but it is also the angling of the Higher Self to pull
the Personality up from its depths of self-enclosure.
「釣り針」は部分的には、瞑想の状況において、実在へと向かう「人格」の意識の探索で
あるが、それはまた、自己の囲いのその奥地たちから「人格」を引き出すための「高次の
自我」の釣りでもある。
--- ここまで ---

なかなか意味深すぎて、理解しがたい部分もある文章ですが、もう少し簡単に言うと、
・瞑想とは、リアルな自分自身(マルクト)を「人格(イェソド)」を通じて見つめ直し、
 詳しく調べるための方法である。
・瞑想とは、バーチャルな自分自身(イェソド)を、「高次の自我(ネツァク以上)」を
 通じて見つめ直し、詳しく調べるための方法である。
という流れになるわけですので、この全裸女性像が「ツァダイ(釣り針)」となって、
「瞑想」の助けになる重要な役割を担っているということですかね。

いずれにしても、理性的な「ホド」と対極にある「ネツァク」は、「自然」とか「感情や
本能」ですので、ガチガチな思考による妄想ではなく、より自然体な瞑想状態に至ること
により、自身を「高次の自我」に釣り上げてもらえるように、心身をリラックスさせて
おくことが必要となるわけです。
つまり、大自然の天然温泉で、「お風呂沸いてますよ〜、お背中お流ししましょうか〜」
と美女に声をかけられ、心も体も癒やされるという妄想に浸るということですよね。

まあ、何かを釣ろうと思うのであれば、まずは釣られてみることも必要なのです。←意味不明w
0271名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/20(日) 08:38:16.18ID:2ryu3vun
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The figure on this card is the most pure manifestation of the Great Mother at the
level of the Personality, and prior to its enclosure in matter.
このカードの人物像は、「人格」の段階における「大母」の最も純粋な発現であり、そして
物質界におけるその囲いに先立つものである。

For this reason it is completely unveiled: it is the perfection of the physical
form of nature, i.e., of "every existing thing under the Sun," meaning below the
level of Tiphareth.
この理由のために、それは完全にヴェールを取られる:それは、自然、すなわち、
「ティファレト」の段階の下を意味する、「太陽の下」に存在する全てのものの、物質的な
形の「完成」である。

This is the same figure first found in THE EMPRESS, robed and crowned; it is the
same figure as THE HIGH PRIESTESS: it is the same figure found in THE UNIVERSE.
これは、ローブをまとい戴冠した「女帝」において最初に発見されるものと同じ人物像で
ある;それは「高等女司祭」と同じ人物像である:それは「宇宙」において発見される
ものと同じ人物像である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版タロットにおいては、原作者の個人的な趣向により、ほぼ全ての
女性像はミナちゃん、いえいえ「イシス女神」に関連付けされています。

このように、同一のモチーフを「着衣」と「裸」で書くのは、色々な意味があります。
基本的には、レベルアップによる脱衣方向のプレイは、専らエロ目的の初心者向けと
いうか、割と下層の読者を対象とするものであり、着衣系のコスプレというか着せ替え
プレイは、ある程度の予備知識のある上級者向けのプレイとなります。
マサース氏には、子供がいなかったので、おそらくミナちゃん、いえいえ「イシス女神」
の姿を使って、そういう着せ替え脳内妄想系プレイ、いやいやタロットを使った魔術儀式
のブランニングを楽しんでいたのではないかと邪推しております。←マジ邪推ww
0273名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/21(月) 06:36:11.67ID:lEEWLmw1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
In the Golden Dawn card the woman is shown pouring the contents of both urns
(Chokmah and Binah) onto the earth so that they "unite and form a river at her
feet." (*121)
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、女性が、大地の上で(「コクマー」と「ビナー」
の)両方の壺たちの中身たちを注ぎ、それらが「彼女の足元で結合し、ひとつの川を形成
する」ようにしているのが示される。(*121)
--- ここまで ---

ちなみに、(*121)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
121. Regardie, Golden Dawn, v. II, 135.
121. リガルディー著、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第2巻、135ページ。
--- ここまで ---
とあります。

さて、2つの壺と水をモチーフにしたものと言えば、「ティファレト」と「イェソド」を
結ぶ「14:節制」もそうですし、構図としても、「17:星」と非常に良く似ています。
実際のところ、「イェソド」に流入する3つの小径「14:節制」、「17:星」、「18:太陽」
は、流入するエネルギーが違うだけで、どれも似たような性質があります。

基本的には、「14:節制」からは「ケテル」、「18:太陽」からは「コクマー」、そして
「17:星」からは「ビナー」のエネルギーが流入するのですが、その中で最も力が入って
いるのが、裸のミナちゃん、いやいや裸のイシス像ということになるわけですよね。
そして、割と下位世界の存在でありながらも、「善と悪の知識の木」や「生命の木」を
バックにして、「コクマー」と「ビナー」のエネルギーを、我々人類に気前よく大盤振る
舞いしてくれているという、実にありがたい真の「愛と豊穣の女神」と言えるような存在
であるということなんですよね。
この普遍的な「ありがたさ」ゆえに、人々の人気を集めやすいカードであるわけですが、
それゆえ、誤解されやすい体質のカードでもあったりするわけです。
0274名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/22(火) 06:30:01.46ID:3QWoEcy3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
In the Waite card the urns are pouring their substance onto earth and water.
ウェイト氏のカードにおいては、壺たちは大地と水域の上にそれらの中身を注いでいる。
--- ここまで ---

ウェイト版は、ゴールデン・ドーン版のような強い思い入れもなく、旧来のマルセイユ版の
デザインを踏襲した、とてもわかりやすい形になっています。

ウェイト版とゴールデン・ドーン版の大きな違いの一つは、壺から注ぐ水の流れが二本で
あるか合わさって一本となっているかということと、後方の木が一本であるか二本であるか
の違いです。
要するに、「慈悲の柱(コクマー)」と「峻厳の柱(ビナー)」を、何に対応させている
かということですよね。

ちなみに、ウェイト版の後方の木は、「善と悪の知識の木」であり、木に止まっている鳥は
トート神を象徴する「トキ」であるとされています。

じゃあ、この女神は「知恵の女神」なのかというと、そういうことではなくて、「知恵の木」
をバックにすることで、彼女自身が「生命の木」の一部となって、そのエネルギーを下界に
供給する「大地母神(ネツァク)」というような位置付けになっているものと思われます。
まあ、何事にもバランスというものが必要ということなんですよね。

なお、ウェイト版の星たちが八芒星となっているのも、ゴールデン・ドーン版との違い
ですが、これは、旧来のマルセイユ版のデザインを踏襲したものとなっています。
まあ、あまりにも「全部ミナちゃんでいいんじゃないかな」的なゴールデン・ドーン版を
嫌ったのかもしれませんし、ゴールデン・ドーン内部の情報を外に出したくなかったのかも
しれませんし、もしくは従来からの読者(タロット占い師)に配慮したのかもしれません。

でもまあ、デザイン的には、このウェイト版が、一番わかりやすくまとまっているという
感じはありますよね。←個人的な感想ですw
0275名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/23(水) 06:23:02.24ID:h46VDkpO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Crowley's symbolism is far more complicated.
クロウリー氏の象徴主義は、よりずっと複雑である。

He represents two breast-like cups, one gold and one silver: "From the golden cup
she pours this ethereal water, which is also milk and oil and blood, upon her own
head, indicating the eternal renewal of the categories, the inexhaustible
possibilities of existence.
彼は、1つは金で一つは銀である、2つの乳房に似た杯たちを示す:「金色の杯から、彼女は、
乳と油と血でもある、この天上の水を、彼女自身の頭の上に注ぎ、その範疇たちの永遠の
更新、存在の尽きることのない可能性たちを示す。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の、リアルな「俺の嫁」自慢に対抗して、クロウリー氏も盛大に
「俺の嫁」、すなわち女神「ヌイト」の自慢をしているような感じになっています。

自慢話の詳細については、『トートの書』を読んでもらうとして、ここで注目しておきたい
ことは、他のカードとは違って、胸が完全に隠されているということです。
そして、隠された胸は取り外され、両手の2つのカップに変化し、そこから何かが噴出して
いるという構図になっています。

もちろん、胸の乳首から乳が吹き出す構図でも良かったとは思うのですが、それだと余り
にも生々しいというか、肝心のエロさが微妙になってしまいますので、さすがにそういう
デザインにはしなかったようですが、ここはあくまでも、二つの乳房から大量の乳が噴出
しているという意味になっています。
なぜ「水」ではなく「乳」なのかというと、この女性像が、「嫁崇拝」だけでなく、「母
崇拝」にも繋がっているということですが、クロウリー氏の母親や、彼に関わった数々の
女性たちとの屈曲した関係を考えると、なかなかに興味深いものがあるのでした。
トート版の女性像の多くが、螺旋状に描かれているというのも、そういうストレートに表現
したくないという、彼の屈折した感情があるのかもしれませんね。
0276名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/24(木) 06:12:20.53ID:ddDldAdK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The left hand, lowered, holds a silver cup, from which also she pours the immortal
liquor of her life...She pours it upon the junction of land and water.
左手は、下げられており、銀の杯を保持し、そこからはまた、彼女は彼女の生命の不死の
酒を注ぐ…彼女はそれを大地と水域の接合部の上に注ぎかける。

This water is the water of the Great Sea of Binah; in the manifestation of Nuith
on a lower plane she is the Great Mother." (*122)
この水は、「ビナー」の「大いなる海」の水である;下の次元における「ヌイト」の顕在化
において、彼女は「大母」である。」 (*122)
--- ここまで ---

ちなみに、(*122)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
122. Crowley, Book of Thoth, 110.
122. クロウリー著、『トートの書』、110ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版では、この「17:星」は、「ツァダイ(釣り針)」ではなく、「ヘー(窓)」に
対応しているのですが、絵柄からは、くにゃっとした「ツァダイ(釣り針)」の方が、
イメージとしては近いのですが、クロウリー氏は、どうしても「ヌイト」の全裸像を、
位置的に上位であり、かつ「聖四文字」の一部でもある「ヘー」のヘブライ文字に結び
付けたかったようです。

結果的に、トート版においては、この「17:星」の解釈は、下位領域のカードであるにも
かかわらず、かなり肥大化していることに、注意しておく必要があります。
とはいえ、この「もう全部ヌイト一人でいいんじゃないかな」的なノリは、マサース氏の
「もう全部ミナちゃん、いやいやイシス一人でいいんじゃないかな」的なノリと同じレベル
のものですので、決してクロウリー氏だけの責任とは言えないわけですけどね。w
0277名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/25(金) 06:23:26.68ID:JMNa0jjz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Crowley describes the repeated spirals on this card as a reference to the shape
of the Universe as calculated by Einstein and his followers.
クロウリー氏は、アインシュタイン氏と彼の追従者たちにより計算されるのと同様に、この
カードにおける繰り返された螺旋たちを「宇宙」の形への参照であると述べる。

He points out that only in the lower cup are there rectangular forms and says that
"In this may be discovered the doctrine which asserts that the blindness of
humanity to all the beauty and wonder of the Universe is due to this illusion of
straightness." (*123)
彼は、下の杯の中にあるものだけが、四角い形たちであることを指摘し、「この中において、
「宇宙」の全ての美と驚異への人類の盲目さは、この真直性の幻覚に起因していると断言
する学説が発見されるかもしれない。」と言う。(*123)
--- ここまで ---

引用部分はちょっと長いので次回にしますが、ここはクロウリー氏のさらなる「オレの嫁
自慢」の続きというか、ちょっと暴走的というか脱線的な部分になってきます。

トート版の右手の金のカップは、「ケテル」に見られる、一点から宇宙が創造される際の
風車のような螺旋形状が描かれており、これは、空間的な特異点であって、時空が大きく
歪んでいることを表しています。
このあたりの物理理論に対して、クロウリー氏は「アインシュタインの相対性理論」を
持ち出しているわけですが、別にそんなことをしなくても、「生命の木理論」において、
既に解説済みとなっております。
要は、宇宙創造時は「非ユーグリッド空間」であり、現在の宇宙は「ユーグリッド空間」
であると言いたいわけですが、現代科学の宇宙に関する理解は、クロウリー氏の想像を
超える速度で進化しており、決して人類は盲目ということはないです。
ということで、このクロウリー氏の説明は、「この宇宙の全ては、もう全部オレの嫁一人
でいいんじゃないかな」というような感じで読んでいけばいいんじゃないかな、と思うの
でした。
0279名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/26(土) 07:25:10.22ID:YvhOkY4F
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*123)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
123. Zohar, Nurho de Manhar translation, San Diego, 1978, 62.
The Sperling and Simon translation of this passage reads: "Why is this first gate
called 'the fear of the Lord'?
Because it is the tree of good and evil.
If a man deserves well it is good, and if he deserves ill it is evil.
Hence in that place abides fear, which is the gateway to all that is good.
'Good' and 'understanding' are two gates which are as one.
'R. Jose said: 'The term "A good understanding" alludes to the Tree of Life which
is the knowledge of good without evil.'"
Zohar, trans. Sperling and Simon, v. I,
123. 『ゾーハル(光輝の書)』、ヌルホ・デ・マンハー訳、サンディエゴ、1978年発行、
62ページ。
この節のスパーリングとサイモンの翻訳は、以下のように書いている:「なぜこの最初の
門は、「主の恐れ」と呼ばれるのか?
なぜなら、それは、善と悪の木であるからである。
もし、人が幸福を受けるに値するのならば、それは善であり、そしてもし彼が罰を受けるに
値するのならば、それは悪である。
それゆえ、その場所には恐れが留まり、それは善であるもの全ての入り口である。
「善」と「理解」は、一体となっている、二つの門たちである。
'R. ホセは言った:「「善の理解」という言葉は、「生命の木」を暗示しており、それは
悪の無い善の知識である。」
『ゾーハル(光輝の書)』、スパーリングとサイモン訳、第一巻。
--- ここまで ---
とあります。

なんか、クロウリー氏の解説とは全く違う話になっていますが、要するに、ワタシみたいに
エロ目的とか金儲けとか、地上での欲望を抱えたままでは、絶対に通れないような「関所」
であることは確かなようですね。
0280名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/28(月) 06:06:58.49ID:ggeQCESd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Golden Dawn representation of THE STAR carries more specific information about
this Path than the others, although it is hidden in the intricacies of number.
「星」のゴールデン・ドーンの描写は、それは数の複雑な事情に隠されているとはいえ、
その他のものたちよりも、この「小径」についての、より明確な情報を伝える。

On this card the seven primary rays of the star, and the fourteen secondary rays
add up to 21.
このカードにおいて、星の7本の主要な光線たち、および14本の補助的な光線たちは、合計
すると21になる。

This is the number of Eheieh, the God name of Kether, telling us that the relationship
of this Path to the Godhead is far more direct than is obvious on the surface.
これは、「エヘイエ」の数、「ケテル」の「神」名であり、「神」に対するこの「小径」
の関係が、表面的に明らかになっているものよりも、よりずっと直接的であるということ
を、我々に言っている。
--- ここまで ---

要は、「エヘイエ/私はある」すなわち「ケテル」と、「生命の木」の「コクマー」、
そして「善と悪の知識の木」の「ビナー」を背景にしたミナちゃん、いやいや「イシス
女神」の姿は、まさしくマサース氏が妄想した「金星」である「イシス・ウラニア(天上の
イシス)」、すなわちゴールデン・ドーンの理想とする姿でもあります。

つまり、本来は「中央の柱」に属する「2:高等女司祭」や「14:節制」や「21:宇宙」の
構図であり、「3:女帝」にも通じるものとなっています。
なぜこんな下層に、そして「中央の柱」にない「17:星」に、これほど重要なものが揃って
いるのかと言うと、やはり「オレの嫁」、いやいや「愛ドル・スター」が、ここに象徴されて
いるということに他なりません。
そして、下界に住む我々にとっても、ぎりぎり手の届くというか、かろうじて存在が実感
できる範囲にあるというのも、ヲタク的な人気の要因となっているのかもしれませんね。
0281名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/29(火) 06:16:42.80ID:NCkZlN+T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Moreover, the Golden Dawn imagery carries with it an explanation of why THE STAR,
transposed with THE EMPEROR by Crowley, belongs firmly planted on the Twenty-Eighth
Path where tradition has placed it.
さらに、ゴールデン・ドーンの画像は、それによって、クロウリー氏により「皇帝」と
入れ換えられた「星」がなぜ、伝統がそれをずっと置き続けている「28番目の小径」に
しっかりと植えられて、あるべき所にあるのかという理由の説明を伝える。
--- ここまで ---

このゴールデン・ドーン版の「17:星」の絵の象徴体系からすれば、もっと上位の場所に
あってもおかしくないほどの、上位要素のてんこ盛り状態なわけですが、そうであっても、
マサース氏としては、自分達の手の届く範囲であり、なおかつ一般人には手の届かない
「イェソド」と「ネツァク」を結ぶ「小径」に、全裸のミナちゃん、いやいや「天上の
イシス」を置いているわけです。

まあ、リアルな嫁は「マルクト」にある存在ですが、バーチャルな嫁の位置としては、
小アルカナの「ネツァク」にあるよりは、この「17:星」という微妙に上位の世界に置く
方が、色々な意味でイケない妄想が捗るというのは確かです。

そう、「オレの嫁」というのは、神格化しすぎてもいけないし、かといって俗に染まる
ことは許されないし、でもそうはいっても、色々な妄想属性を押しつけておきたいし、
というように、かなり微妙な立ち位置にある存在なのです。

つまり、誰でも簡単にアクセスできる「21:宇宙」だと安っぽい女になるし、かといって
「2:高等女司祭」だと高すぎるし、「3:女帝」だとカーチャンみたいだし、「14:節制」
だとマジメすぎてエロ成分に欠けるし、ということで、色々と注文が多いわけです。

色々考えた結果、マサース氏は、この絶妙かつ微妙な位置にある「28番目の小径」こそ
が、「オレの嫁」である「17:星」の場所には最もふさわしいという、なんかよくわからない
ヲタク的な結論に至ったということなんですよね。←もちろんワタシの個人的な見解ですw
0282名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/30(水) 06:18:05.81ID:ThPg5bnO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Key to all of this is the two trees on either side of the female figure.
これの全ての鍵は、女性の人物像の両側にある2本の木たちである。

These are the Tree of Life on the right, and the Tree of Knowledge of Good and
Evil on the left.
これらは、右に「生命の木」、そして左に「善と悪の知識の木」である。

Biblical scholars will immediately recognize the symbolic trees described in Genesis;
Adam and Eve were forbidden the fruit of the latter tree, though not of the former.
聖書の学ぶ者たちは、すぐに、『創世記』において記述された象徴的な木たちを認識するで
あろう;アダムとイヴは、前者のものではなく、後者の木の果実を禁じられた。
--- ここまで ---

神は、こう言いました。「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」(『旧約聖書:創世記』2:17、新共同訳)と。

まあ、食べてもすぐには死なないわけですが、いずれにしろ、この赤い糸を引き抜いた
者は、呪われて地獄である現世に堕ち、そして死んだ後は地獄へと落ちるわけです。

でも、何度読んでも、悪いのは神であるとしか思えないんですよね。
エデンの園の中央に、おいしそうな実をつけた木を植えて、「食べるなよ!、絶対に食べる
なよ!」なんて言われたら、絶対に食べてしまうという伏線になっているのはミエミエです。

とはいえ、彼らがずっとエデンの園に居続けてしまっては、現世に堕ちた人類の歴史は始まら
ないわけですので、この「イヴの裏切り」は、決して黒歴史なんかではなく、自らの命を
引き換えとして、新しいものにチャレンジするという、人類にとっては、とても勇気ある
行動であると思うのです。

まあ、そうは言っても、全ては「神の計画通り」なんですけどね。←ここが悔しいww
0283名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/08/31(木) 06:22:44.96ID:zjxj4gvi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Bird of Hermes above the Tree of Knowledge of Good and Evil (the Ibis) amplifies
the meaning of the Tree in this card.
「善と悪の知識の木」の上方の「ヘルメスの鳥」(「トキ」)は、このカードにおける
「木」の意味を拡充する。

It is a reference to THE MAGICIAN, the card of Hermes-Thoth-Mercury.
それは、「ヘルメス−トート−マーキュリー」のカードである、「魔術師」への参照である。

In Hebrew the word kokab means star, but more specifically it means Mercury.
ヘブライ語において、コカブという言葉は星を意味しているが、より具体的には、それは
「水星」を意味している。
--- ここまで ---

「善と悪の知識の木」と「ヘルメスの鳥」は、この下位世界においては、「ホド」と
「峻厳の柱」に関係してきます。
そして、「コカブ、[beth][kaph][vau][kaph]、水星」も、「ホド」に配属される天体です。

そして、その「善と悪の知識の木」と対になっている「生命の木」は、このカードにおいて
は、結果的に「ネツァク」と「慈悲の柱」に関係付けされるということですが、そうなる
と、この女神像は、「中央の柱」を意味することになるわけです。

つまり、この「17:星」は、「イェソド」と「ネツァク」を結ぶ、右翼的な位置にあります
が、意味としては、「イェソド」と「ホド」を結ぶ左翼的な面も多くあります。
一方で、「19:太陽」も、「イェソド」と「ネツァク」を結ぶような意味合いを多く含みます
ので、「17:星」と「19:太陽」は、我々から見ると、お互いを補完しているような関係に
なっているわけです。

要は、我々にとって、単純には理解できない領域に入りつつあるということですので、
ここはあまり深く考えない方がいいかもしれませんね。
0284名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/01(金) 06:13:54.41ID:3gBiQJae
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Thus we understand that it is necessary to apply the willpower of the Magician,
the directing force in meditation, if we are to learn the lessons of this Path.
従って、もし我々が、この「小径」の学課たちを学ぶことになるならば、我々は、「魔術師」
の意志の力を、瞑想において指導する力に応用することが必要であると理解する。
--- ここまで ---

とりあえず、ゴールデン・ドーンの「17:星」においては、「ヘルメスの鳥/トキ」は
「水星」であり、この女性像は「イシス女神」である「金星」であり、そして頭上の星は、
古代エジプトにおいてイシスを象徴する「シリウス」であるとされています。
要は、全ては天上の世界において、重要な要素のてんこ盛りであり、そして我々からは
直接手の届かない世界(「ネツァク」−「イェソド」)の存在となっています。

そして、ここから先は、「16:塔」や「15:悪魔」という、一般人の立ち入りはお琴割します
の関所が立ち塞がっていますので、一般人である我々にとっては、この「17:星」が、かろう
じて見聞きできる限界点というか最高点でもあります。
その結果として、どうしても瞑想が「過剰に美化」されてしまう傾向があるわけですよね。
まあ、ここから先は簡単には通れそうにない分、あらぬ欲望が溜まってしまうというか、
色々と詰まってしまっているというか、そういう状況です。

じゃあ、この先を通るには、どうすればいいかということですが、一般人であるワタシ
からは、特にアドバイスするようなものはございませんが、ウォン氏からの提案は、
「1:魔術師」の「水星パワー」を借りるのがいいよ、ということですよね。

要は、「魔術師」としての修行をしていくならば、この関門を通って「ティファレト」という
「セカンド・オーダー」ぐらいまでには到達できるかもしれないね、ということです。

でも、本当に「セカンド・オーダー」なるものに到達できた人って、いるんですかね。
って、これは「決して詮索してはならないこと」でしたっけ。
0287名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/02(土) 07:02:59.60ID:94Guchww
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Zohar, speaking of the Tree of Knowledge of Good and Evil explains that if
a man lives uprightly, it is a Tree of Good, but if he lives unjustly, it is a
Tree of Evil." (*124)
『ゾーハル』が、「善と悪の知識の木」について語っていることは、「人が正義に生きる
ならば、それは「善の木」であるが、もし彼が不正義に生きるならば、それは「悪の木」
である。」ことを説明する。 (*124)
--- ここまで ---

引用符(")の対応が取れていないので、適当に補充しています。

そして、NOTES/注記のページに、(*124)がありませんが、おそらく、(*123)において、
最初の一行のみが(*123)であって、残りは全て(*124)だと推定できます。
(*123)って、なんかおかしいな〜、とは思っていたのですが、とりあえず納得です。

再掲すると書き込み行数オーバーとなりますので、翻訳は >>279 を参照してください。

ということで、この「木」は、使う人によって、「善の木」にもなり「悪の木」にもなる
という、極めてご都合主義というか、「オレが悪いんじゃない、使った人間が悪いんだ!」
という、責任逃れ感のすごいシロモノになっているわけです。

まあでも、知識とか道具とかは、元々それ自体には善とか悪とかの色合いは無いわけで
あり、それゆえ、剣だろうが鉄砲だろうが大砲だろうが核爆弾であろうが、要は人が「善」
であると決めつければ、それは「善」であり、人が「悪」であると決めつければ、それは
「悪」ということになるわけです。
つまり、「善と悪の知識の木」というものの存在自体が、かなり矛盾したものというか、
いかがわしいものというか、疑わしいものということになります。
結果的に、この世においては、宗教っぽい「神」を自称する者たちが、「善」とか「悪」
とかを決めつけていくようになるわけですが、それゆえに、この世界には、不正義が蔓延
するという事態になっているわけなんですよね。
0288名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/03(日) 05:47:02.19ID:LJdok0uW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
This does not imply the acceptance of any social doctrine or law, or any rule of
social conduct.
これは、どんな社会的な主義または法律、もしくは社会的な運営のどんな規則であれ、
受容を暗示していない。
--- ここまで ---

要は、この「善と悪の知識の木」は、「social/社会的」、すなわち人間が作ったルール
ではないということなのですが、ここには、かなりの矛盾点があります。

一つには、物事の認識には、必ず観測者が必要ということであり、結果的には「主観」
すなわち「人間」が絡んでくるわけです。
つまり、「客観的」というものは幻想であって、それゆえ「全ての人にわかるように」
というようなものも存在していないわけです。

要するに、「知識の木」だけでも充分に「social/社会的」であるため、その上さらに
「善と悪の知識」となれば、「social/社会的」なものから逃れることは不可能です。

つまり、このカードに描かれている「善と悪の知識の木」というのは、我々が認識できる
ようなシロモノではなく、そして説明できるようなものでもない、ということであり、
それゆえ「神」の世界に置かれているものということですよね。

そもそも、この現世において、真の「神の秘密」を知ることのできる人間なんてものは
存在していないわけであり、「お前の秘密を知っている」、いやいや「神の秘密の知識を
知っている」などと言う者は、全てが詐欺師であって、全ては「人間レベルの浅はかな
知識」ということです。

まあ、科学界にも、今まで何度も「宇宙の秘密を解き明かした」と主張した人間がいた
ことはいたのですが、残念ながら、まだまだそういう「宇宙の秘密」なるものには到達
できていないのが現状ですしね。
0290名無しさん@占い修業中
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2017/09/04(月) 06:14:22.52ID:FpZ38Ay7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
It means simply functioning in accordance with the Universal Will.
それは、「普遍的な意志」に従って単に機能することを意味している。

And here in the card, we see that the lower branches of this Tree are a reversal
of the principles symbolized by the branches above.
そしてここで、カードにおいて、我々は、この「木」の下の枝たちが、上の枝たちにより
象徴されている原理たちの反転であることに気づく。

Each branch represents one of the seven Planets (six around the Sun), with Saturn
representing all three Supernals (Figure 30),
各々の枝は、7つの「惑星たち(太陽のまわりの6つ)」のうちの1つを表し、「土星」は
3つの「至高者たち」全てを表している (図30)。
--- ここまで ---

「善と悪の知識の木」は、人間のものではなくて、あくまでも「神」のものであって、
人間には到底理解することの出来ないものであるわけですが、そういった「上の枝たち」
の反転像、すなわち鏡に映し出された虚像のようなものが、このカードの「下の枝たち」
として存在するということです。

つまり、アダムとイヴの聞きかじった「善と悪の知識」なるものは、しょせん、神の策略に
よりあらかじめ作られた、この劣化コピーである「下の枝」たちということであり、その
結果、アダムとイヴに、副作用として「エロ目線」という「下の枝」の知識が芽生え、
お互いに隠すようになった(そして下界でコトに至った)という話になるわけです。

要は、この「ネツァク」と「イェソド」の中間点である「17:星」が、エロ目線発祥の地
であり、記念すべき人類誕生の第一歩であるということです。
そして、この「17:星」の女性像を、下から「エロ目線」で見るか、上から「非エロ目線」
で見るかということが、その人の修行の進捗度を計る物差しになるわけですが、そういう
意味では、ワタシは一生、この関所を通過することは不可能ではないかと思うのでした。
0291名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/05(火) 06:16:52.39ID:OLgMiDzY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図30の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
Figure 30. The Tree of Knowledge of Good and Evil
図30. 善と悪の知識の木
--- ここまで ---

この図にある「善と悪の知識の木」は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書 上』
の巻頭カラーページにある「追放以前のエデンの園」というタイトルの絵に出てきます。

この図からは、「天上界」に向かう上の枝と、それの鏡像となっている「地下界」へと
向かう下の枝という感じになっています。

七複字も、対立する概念の複合体として解釈されていますので、ここでも、「上の如く、
下も然り」という類似性よりは、反転した性質を持っていると考えた方が良さそうです。

つまり、「エデンの園」で蛇(および裏で糸を引いた神)に食わされた「知恵の実」は、
天上への聖なる果実ではなく、地下への俗なる果実であるという可能性が高いわけであり、
どう考えても「一杯食わされた」としか思えないわけです。
結果的に、我々人類は、真の宇宙の知識など知る由もなく、下ネタ中心の知識を肥大
させていったというオチになっているわけですよね。

でもまあ、下ネタに限らず、知識っていうのは、人から教えられるものよりも、自分で
あれこれと試して見いだしていく方が面白いわけであって、やる前からネタバレ本を読んで、
「オレはこの世界の全てを知っている」なんてことになるよりは、絶対に楽しいと思う
わけです。

人は、最初は「無垢」の知識の状態で生まれるわけであり、そこから先は、その人自身と
周囲の環境により成長していくわけですので、色々と経験を積んでいって、自分なりの
「善と悪の知識」を肥大させていけばいいと思うのでした。
0292名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/06(水) 06:25:13.88ID:Z122M4DA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
So we understand that this Tree, related to the expulsion of Adam and Eve from
the condition of "heavenly bliss" symbolizes the dualities of good and evil,
pain and pleasure, harmony and disunities of the human condition.
そういうわけで、我々は、「天上の至福」の地位からのアダムとイヴの追放に関連している、
この木は、人間の状態の、善と悪、苦痛と喜び、調和と不和たちの二重性たちを象徴して
いることを理解する。

The bird above, while a reference to THE MAGICIAN and the will, points out that
wisdom emerges from a right understanding and control of the daily aspects of
our lives.
一方では「魔術師」と意志への参照である、上方の鳥は、知恵が我々の生活たちの毎日の
様相たちの正しい理解と管理から出現することを指摘する。
--- ここまで ---

「善と悪の知識の木」の上下関係は、「生命の木」に見られる「上の如く、下も然り」と
いうような相似関係ではなく、鏡像関係というか、極性が反転する関係にあります。

そして、これらは鏡像関係ですので、どちらか一方だけでは存在できないという、ちと
やっかいな性質を持つわけです。

つまりは、「善と悪」、「苦痛と喜び」、「調和と不和」、そして「聖と俗」の両方を
マスターしておかないと、「知恵」の鳥は出現して来ないということであり、そういう意味
では、頭でっかちなバーチャルな体験だけではダメで、リアルにそれを経験することで、
始めて真の理解が出来るようになり、それが「魔術師」への道であるということになります。

要は、日々の労働と勉強をせずに、安易に「知恵の実」を食べて知識を得ようとする者は、
「神のようになる」ことは出来ず、すべからく地獄に堕とされるということですよね。
ということで、ワタシは特に何もせず、天上にも地獄にも行かないよう、このままの状態で
留まっていようと思うのでした。←あまり努力したくない人ww
0294名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/07(木) 06:20:56.86ID:dwngkD0q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
The Hermetic Mysteries serve to explain all that is called good or evil in our
lives, and to help us to transcend the limitations which are imposed by these qualities.
「ヘルメス主義的神秘主義」は、我々の生活たちにおける善もしくは悪と呼ばれているもの
全てを明白にするのに、そして、これらの品質たちにより課された制限たちを我々が超越
するのを助けるのに、役に立つ。
--- ここまで ---

まあ、「ヘルメス主義的神秘主義」の効能は、それこそ「あくまで個人の感想であり商品の
効能を確約するものではございません」の類のものですので、そこは承知の上で利用して
頂くということになるのですが、はっきり言ってしまえば、いわゆる「錬金術」の延長線上
にあるものであって、一般人にとっては、実用上は、ほぼ何の意味も無いシロモノであると
言い切ることが可能です。

つまりは、現代においては、あくまでも一般的ではない人々向けということなのですが、
どういう人に向いているのかと言うと、一番適合しやすいのは「ファンタジー」を必要と
している人々、次に、一般的な思考ができない人、それと、妄想好きな人、という感じ
ですかね。

ワタシ自身は、割と中途半端な感じですので、「ヘルメス主義的神秘主義」なるものが
目指しているものは、少しだけ感覚的には理解できるのですが、それを言葉で明確に言い
表すことは出来ませんし、実用的な形にすることも出来ません。

言葉で言い表せるもの、そして形にできるものは、あくまでも「マルクト」の世界のもの
ですので、その上位世界を表す「ヘルメス主義的神秘主義」って、それほど実用的なもの
というわけでもないんですよね。
ただ、「ヘルメス主義的神秘主義」は、ワタシにとっては、日々の思考を円滑にするため
の「脳トレ」とか、実用的なものを生み出すための「触媒」とか「起爆剤」というか、
そういう、自分では気づかないし、他人には見えてない能力の一部となっている可能性は
あるのかもしれませんね。(※個人的な感想です。w)
0295名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/08(金) 06:20:44.24ID:p5hETXI1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
It will also be seen that the Tree of Knowledge of Good and Evil is toward the
side of the Pillar of Severity.
「善と悪の知識の木」が「峻厳の柱」の側のほうにあることに、また気づかれるであろう。

Its opposite, The Tree of Life is on the side of the Pillar of Mercy, for it is
a gift of God balancing the severely polar lessons of the other Tree.
その反対側の、「生命の木」は、他方の「木」の厳しい正反対の学課たちの重さと釣り合う
ための、「神」の賜物であるとして、「慈悲の柱」の側にある。

The very practical point implied here is that we must continually refer the lessons
of the inner worlds, the results of meditation, to our daily lives, and vice versa.
ここで暗示される非常に実践的な点は、我々は継続的に、瞑想の結果たちである、内なる
世界たちの学課たちを、我々の日々の生活たちへと、差し向けなければならないし、そして
逆もまた同様である、ということである。
--- ここまで ---

「生命の木」の持つフラクタル性により、「生命の木」自体を「慈悲の柱」に、そして
「善と悪の知識の木」を「峻厳の柱」に当てはめて解釈することが可能です。

この場合、両者は相補的な関係となり、「ネツァク」的なものと「ホド」的なものとの
並立を表していることになるわけです。
この場合、「17:星」と「14:節制」の違いは、それが実用的な範囲にある(「17:星」)
のか、そうでない(「14:節制」)のかの違いとなるわけですが、まあ「全裸の女性像」
の方が実用性が高いというのは、おそらく異論は無いかと思います。

とはいえ、「17:星」自体は、「峻厳の柱」にはありませんので、それ自体には厳しさは
ありませんし、あくまでも将来的な厳しさを「暗示」しているということなのですが、
「神」は、この「17:星」の段階で、「善と悪の知識の木」というワナを仕掛けておいて、
ワナに堕ちる者たちを、「全裸の女性像」で、おびき寄せているということですよね。
0296名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/09(土) 08:06:34.49ID:M8982jt+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
What is shown in this Key is the Garden of Eden, a state of beginnings.
この「鍵(大アルカナ)」において示されるものは、始まりの状態である「エデンの園」
である 。

But a complicated question arises as to why that Garden should be represented in
a card so low on the Tree of Life and, indeed, why it should form one of the
primary Paths of the Personality.
しかし、 なぜ「園」が、「生命の木」の上で、そんな低位のカードにおいて表される必要
があるのか、そして、なぜそれが「人格」の主要な「小径たち」の1つを形成する必要が
あるのか、についての複雑な疑問が生じる。
--- ここまで ---

「人格」を表す「星幽的三角形」、および「マルクト」を繋ぐ「小径」の大アルカナには、
基本的には人間に関わるものなので、人間に関係する象徴が入っています。
(「18:月」のザリガニは、人間を象徴しています。)
が、「17:星」には、女神像はありますが、人間の姿はありません。

なぜそうなったのかと言うと、要は「水汲み女」であった全裸の女性像が、マサース氏の
妄想力を最大限に掻き立てて、全裸のミナちゃん像、いやいや聖なる「天上のイシス女神」
に格上げしてしまったからなのですが、このエロ目線的な暴挙は、当然ながら、従来からの
タロット理論と古典的カバラ体系とは、マッチしなくなってしまうことになるわけです。

最もやっかいなのは、「オレの嫁/女神様」は、こんなザコ相手のポジションではないぞ、
という聖なるファン心理的な部分と、とはいえ、手元に置いてナデナデしておきたいという
俗なるヲタク心理的な部分が、相反する形で心の中に渦巻くというわけであり、この両者の
折り合いをつけることは、かなり難しいことになってきます。

その結果として、この「17:星」においては、その見かけの清楚さにもかかわらず、その
解釈において、愛憎渦巻くスベクタルな展開が繰り広げられることになるわけですよね。
0297名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/10(日) 06:48:41.05ID:ONvuTndm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
This is explained by a reference of this Path to a higher Path, that of The EMPEROR.
これは、この「小径」の、より高位の「小径」である「皇帝」のそれとの関連により、
説明される。
--- ここまで ---

「4:皇帝」は、「至高の三角形」を構成する大アルカナたち(0番、1番、3番)の次にある
カードであり、ちょっと仲間外れ気味のカードであり、名前からは「3:女帝」の夫である
と勘違いされることもありますが、そもそも住んでいる世界が違いますので、基本的
にはフリーのカードとなっています。
あと、「至高の三角形」に関する大アルカナって、みんな格が高すぎるというか、ちょっと
近づきにくい雰囲気もありますよね。

ということで、「俺の嫁がこんなに低いわけがない」と考えた人が、この「嫁」カードを、
割とどうでもいい年功序列だけで仕事をしない「オッサン」のカードとチェンジしたいと
思うわけでして、まあ実際にやってみると、割としっくりくる部分もあるわけです。
「2:高等女司祭(至高のイシス)」、「3:女帝(大地のイシス)」、「4:星(俺の嫁イシス)」
と、もう全部イシス一人でいいんじゃないかなという、嫁好きには完璧な布陣ですよね。

とはいえ、あまりにも唐突な下克上なわけですし、おそらく他の人には理解してもらえる
はずもないですし、そして何よりも、「俺の嫁」をそういうふうに特別扱いすることで、
世間から叩かれて大炎上する可能性があるわけですので、マサース氏は、リアル嫁の
ミナちゃんをそういう危険な目に遭わせるようなことはせず、胸の奥底にしまっておいた
のですが、クロウリー氏って、いまいちそういった空気は読めない人なんですよね。

まあ、ワタシも、この「17:星」は、「2:高等女司祭」のような雰囲気を持っているので、
その辺りの住人なのかな、という感じはあるのですが、あの「2:高等女司祭」や「3:女帝」
との嫁姑問題を考えると、「オレの嫁」の立場としては、高望みせず、謙虚な気持ちで、
今の位置の方がいいのかなぁ、とか思ったりするのでした。
いやはや、こういうのって、本当に難しい問題ですよね。ww
0299名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/11(月) 06:30:46.04ID:MyYYPB5c
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
The correct Hebrew title of this card is [mem][yod][beth][kaph][vau][kaph][he]
(ha-kokabim), meaning the Stars, rather than the Star.
このカードの正確なヘブライ語の称号は、[mem][yod][beth][kaph][vau][kaph][he]
(ha-kokabim)であり、「星」というよりも「星たち」を意味している。

Case made this point, noting that some early French and Italian decks use the
plural Les Etoiles and Le Stelle for this reason. (*125)
ケース氏は、いくつかの初期のフランスおよびイタリアのデッキたちが、この理由のため、
複数形の「星たち(フランス語)」と「星たち(イタリア語)」を使っていることに注意
するよう主張した。(*125)
--- ここまで ---

ちなみに、(*125)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
125. Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, Lesson 15, 5.
125. ケース著、『知恵の32の小径たち』、第15課、5ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここから先は、「オレの嫁」である「17:星」が、なぜ「2:高等女司祭」や「3:女帝」の
次のポジション(「4:皇帝」)にあるべきなのかということについて、実にヲタク的と
いうか、まあ重箱の隅をつつくような、すこぶるどうでもいいような話が展開されています
ので、申し訳ありませんが、いましばらく、お付き合いください。

なんでこんなにどうでもいい話で盛り上がっているかというと、ひとえにこのカードが、
ある意味とてもわかりやすい(=エロ目線での注目を浴びやすい)「全裸女性像」を
モチーフにしているため、「ヲタクの鏡」である、素直じゃない歴代の著名な魔術師たちが、
この(エロ目線)ネタに対して、回りくどく絡んできているからなのです。
まあでも、そういうのも、タロット解釈の一つの醍醐味でもあるわけですけどね。
0300名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/12(火) 06:36:43.81ID:aIFXpFne
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
And while Case did not expand the idea, admirers of Crowley will immediately recall
the statement from his Book of the Law, causing him to reverse THE EMPEROR and
THE STAR, that "Tzaddi is not the Star."
そして、ケース氏が、その考え方を拡大しなかった一方で、クロウリー氏の崇拝者たちは、
「ツァダイは星にあらず」という、彼に「皇帝」と「星」を逆転させる原因となった、彼の
『法の書』の声明を直ちに思い出すであろう。

Indeed it is not a single Star, nor is it THE EMPEROR.
実際に、それは単独の「星」ではないが、それは「皇帝」でもない。
--- ここまで ---

ケース氏の主張は、「17:星」のタイトルが、単なる「星」ではなく「星々」、すなわち
「恒星天」に関連するものであること、つまりそれは「コクマー」に関係していることを
暗示しているだけであり、このカード自体が、「コクマー」に接続されているとは言って
いません。
その辺りは、ケース氏もマサース氏も、割とオトナの、分別ある態度であったと言えます。

その一方で、クロウリー氏は、堂々とその(内に秘めた、ちょっと恥ずかしい)考え方を
パクった上で、大々的に公表するという、ちょっとアレな行動に出たわけですよね。

当然のことながら、正当な理由の無いカードの入れ替えには、かなりの無理があります
ので、クロウリー氏は、カード自体を入れ替えることはせずに、対応するヘブライ文字
だけを入れ替えたのですが、それでもかなりの無理があります。

ここは穏便に、「17:星」と「4:皇帝」には、「上の如く、下も然り」の法則が成り立つ
程度にして、あまり波風を立てずに、お茶を濁しておいた方がいいんですよね。
「オレの嫁」が、シンデレラ的な展開で上位世界と行き来できる関係を持てたとしても、
伝統的な「2:高等女司祭」や「3:女帝」の嫉妬で、陰湿なイジメに遭うのは、目に見えて
いますしね。←なぜか決めつけモードww
0301名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/13(水) 06:14:18.91ID:KN04FEds
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Yet there are many Qabalistic ways in which THE EMPEROR (Heh) and THE STAR (Tzaddi)
correspond.
それでも、「皇帝(ヘー)」と「星(ツァダイ)」が照応する、多くのカバラ主義的な方法
たちがある。
--- ここまで ---

「カバラ主義」自体が、何でもありの手法ですので、いくらでもネタを提供することが可能
なのですが、そこまで気合いを入れなくても、と思うんですけどね。

まあ、とりあえず、ここで考えておいて損は無いのが、「大アルカナ」と「聖四文字」および
「四大元素」の関係です。

以前に述べたように、「三母字」が「四大元素」に相当するのですが、そこには「地」の
要素が欠けています。
一方で、「聖四文字」には、「水」と「地」を表す「ヘー」が繰り返し二回出てきますが、
「大アルカナ」はヘブライ文字に一対一に対応しているので、両者は一対一には対応して
いません。

別に気にしなければいいのですが、物好きでエロ好きで妄想好きな連中、いやいや熱心な
神秘研究家たちは、ここの矛盾点にツッコミを入れて、なんか偉そうにしているオッサン
の格下げと「オレの嫁」の格上げを同時に狙うというわけです。
まあ、意図としては悪くは無いと思うのですが、どちらかというと謙虚な「17:星」に
とって、あの濃いキャラの多い大アルカナ上位陣の中に、無理矢理割り込みさせられる
のは、さすがに辛いものがあります。

そういうわけで、ここは「本当は地位の高い天界生まれのお姫様なんだけど、わけあって
天界から舞い降りてきて、交差点でパンをくわえたオレとぶつかって、突然に恋に落ちて、
今ではオレの嫁になっている」というような、ラノベ主人公!的な展開に持ち込む方が、
シナリオ的には、よりおいしいという結論に至るというわけですよね。←完全に間違ってるw
0303名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/14(木) 06:26:44.24ID:7R4Gxavd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
One such link, again demonstrated by the Master of Gematria, Paul Case, has to do
with the fact that the Hebrew ha-kokalbim has the same numerical value as
[mem][daleth][aleph][he] [vau][beth][aleph] (ehben ha-Adam), The Stone of Adam. (*126)
さらにまた、「ゲマトリアの達人」であるポール・ケース氏により例示される、そのような
関連性の1つは、ヘブライ語の「ha-kokabim(星たち)」が、[mem][daleth][aleph][he]
[vau][beth][aleph](ehben ha-Adam)、「アダムの石」と同じ数の値を持つという事実が
あることである。 (*126)
--- ここまで ---

ちなみに、(*126)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
126. Case, ibid.
126. ケース著、同上。(『知恵の32の小径たち』)。
--- ここまで ---
とあります。

あいにくワタシは無学なるゆえ、「アダムの石」なるものが何を指すのか、全くわかって
いないのですが、直感的には、すこぶるどうでもいいもの、のような気がしますので、
これ以上の詮索はしないでおこうと思います。

とはいえ、あの清楚でかわいい「17:星」の姿の実体が、実は暑苦しいオッサンの「4:皇帝」
と同質のものであるという推測は、「自分のことをツインテールのかわいい女の子だと思い
込んで…」と同じくらいに笑劇的、いやいや衝撃的なものであるわけです。
(「星」の女の子のポーズが、立ちションスタイルだと、さらに完璧なんですがww)

つまり、「17:星」に出てくるロングテールのかわいい女の子は、ゴールデン・ドーン版
ではミナちゃんの化身でしたが、トート版ではクロウリー氏自身の化身であるという
可能性も出てくるというわけで、まあクロウリー氏の性癖を考えると、あながちジョーク
では済まされないところもあるわけですよね。ww
0304名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/15(金) 06:16:47.60ID:bQceE8R6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
This is a symbolic reference to the union of the Supernal Father, Chokmah, with
the Sun, Tiphareth i.e., The Path of THE EMPEROR.
これは、「コクマー」である「天上の父」と、「ティファレト」である「太陽」との結合
についての象徴的な参照、すなわち、「皇帝」の「小径」である。

Netzach is the Chokmah energy at its lowest arc, on the base of the Pillar of Mercy.
「ネツァク」は、「慈悲の柱」の基部にある、その最も低い円弧上における「コクマー」
の精力である。
--- ここまで ---

何かもう、無理矢理なこじつけ感がすごいのですが、まあ、上なる「至高の三角形」と
下なる「星幽的三角形」とは鏡像関係にあるので、「コクマー」と「ネツァク」には
相関関係があるのですが、それを言うなら「17:星」に対応するのは「0:魔術師」であり、
「4:皇帝」に対応するのは「13:死」になるわけですけどね。

実のところ、この「17:星」のゴールデン・ドーン版とトート版の特異性は、そういった
屁理屈を越えた、単なる「オレの嫁」への過剰な思い入れであるわけであって、それは
・ゴールデン・ドーン版 = もう全部ミナちゃん一人でいいんじゃないかな
・トート版 = もう全部オレ様(クロウリー氏)一人でいいんじゃないかな
という、ある意味すこぶるどうでもいい点にあるわけです。

つまり、ゴールデン・ドーン版における「星」の全裸女性像はミナちゃんであり、そして
トート版での後ろ姿の女性像は、クロウリー氏自身の裏の顔であるということなのですが、
それぞれが、この女性像を、自分の最も好きなものに重ね合わせているために、ハタから
見ると、従来理論を超越した完全無欠の超絶無敵モードになっているように見えるわけです。

まあ、何でこんな一人ヒロイン状態になっているかと言うと、やっぱり「星=おっぱい」
という「エロ目線」、つまり、「ホド」の「カバラを含む全ての理論」を越えるものが、
「ネツァク」の「おっぱい」であったというのが、ここでの結論なのでした。
0305名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/16(土) 06:50:41.92ID:JlRLAmPi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Its Elohim are the lower expression of the YHVH Elohim of Binah, which the book of
Genesis tells us created the Garden and the two Trees.
その(ネツァクの)「エロヒム(神)」は、『創世記』の本が我々に「園」と2本の「木たち」
を作成された、「ビナー」の「ヤハヴェ・エロヒム(主なる神)」 の下位の表現である。

The Path of THE STAR is, thus, the lower Eden, the Eden of the Personality.
従って、「星」の「小径」は、下位の「エデン」であり、「人格」の「エデン」である。

The Path of THE EMPEROR is, as will later be considered, the fiery aspect of an
upper Eden, the Eden from which the Higher Self emerges.
「皇帝」の「小径」は、後で考慮されるように、上位の「エデン」の火の様相であり、
「高次の自我」が出現する「エデン」である。
--- ここまで ---

「エロヒム(神)」という神名は、『創世記』1:1〜2:3に出てくる、天地創造の「神」の
名前になっていますが、この「神名(アツィルト)」レベルの「エロヒム」と、「ネツァク」
の「天使の合唱団(イェツィラー)」レベルの「エロヒム」の名前とは、微妙に違うと
いうか、まあ「月とスッポン」程度の違いがあるようです。

あと「ヤハヴェ・エロヒム(主なる神)」という神名は、『創世記』2:4〜3:23に出てくる、
エデンの園の物語の主役となっている神であり、これは「ビナー」の「神名(アツィルト)」
レベルの名前となっています。

ざっくり言うと、「ビナー」が「創造の上なる神」であり、「ネツァク」は「創造の下なる
神」であるということなのですが、その「女の上下関係」に、なぜかいきなり「皇帝」が
割り込んでくるということで、どう考えても修羅場、もしくはラノベ的な展開にしかなら
ないと思うのですが、詳しい話はCMの後、ということらしいです。
とりあえずは、「ビナー」と「ネツァク」と「星」の間には、天地創造において、密接に
絡み合った女たちの上下関係が存在していることを覚えていればいいと思います。
0306名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/17(日) 00:50:24.57ID:1aaeuVFw
女の上下関係

元愛人ナツツキ
ゆみり〜子

おっさんきよひこ

3者の戦い

きよひこ性格クズすぎて離婚してやらずフラれる
それを逆恨みして女を憎む
0310名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/17(日) 07:42:23.24ID:hxRKwWrh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
THE STAR shows Eden "restored" by Adam, a reference to Tiphareth, to which Adam
is attributed.
「星」は、「アダム」により「復元される」「エデン」を表し、「アダム」がそれに帰属
されている「ティファレト」への参照を示す。

This lower Eden is a state to which the Personality can directly relate.
この下位の「エデン」は、「人格」が直接関連できるものへの段階である。
--- ここまで ---

前節で、「星」は、下位の、すなわち「人格」の「エデン」であるということにされて
いますが、ここではさらに、「星」が「アダム」に関連する、すなわちこれが暗示しする
ものは、「星」の全裸女性像は「アダム」であるかもしれないと言っているわけです。

ただし、ゴールデン・ドーン版においては、「星」は「天上のイシス」と「至高のエデン」
いう上位世界を暗示していますので、このウォン氏の記述は、的外れなように見えます。

つまり、この「星」が下位の「エデン」であり「アダム」であるかもしれないという記述は、
トート版に限定して考えた方がいいのですが、まあ別に驚くようなことではないですよね。
既に述べているように、トート版での後ろ姿の女性像はクロウリー氏自身の妄想的自画像で
あって、「自分のことをロングテールのかわいい女の子だと思い込んで…」と同じレベルで
あることは、既に判明しているわけですしね。

結局のところ、「オレの嫁」を「聖なる女神(byマサース氏)」と考えるか、「俗なる欲望を
叶える娼婦(byクロウリー氏)」と考えるかという違いなのですが、実を言うと、この両者は、
似たもの同士というか、まあ「月とスッポン」程度には同じ、つまり、エロ目線で視姦するか、
実際に食ってしまうかという程度の違いなわけです。
まあ、古代より宗教施設には娼館が付きものだったこともありますし、宗教世界においても、
俗世界においても、こういう「全裸女性像」に象徴される「エロ目線」の対象物というものは、
色々な意味において特別視される対象でもあるわけですよね。
0311名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/18(月) 07:22:35.39ID:at9qxVpO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Here, too, we recall that the creation of Man, the formation of the individual
consciousness from the collective unconscious, begins from the point of Netzach.
ここでもまた、我々は、集合的な無意識からの個々の意識の構成物である、「人」の創造
が、「ネツァク」の地点から始まることを思い出す。

It is also the highest level of the Personality's intuition, as opposed to the
Path of THE SUN, which is the highest level to be reached by intellect.
それはまた、知性により到達される最も高い段階である「太陽」の「小径」とは対照的に、
「人格」の直観の中で最も高い段階でもある。
--- ここまで ---

とりあえず、「オレの嫁」自慢から、本来の「17:星」のカードの話に戻ります。

そして、今まで見てきたように、ゴールデン・ドーン版もトート版も、本来の意味からは
若干逸脱していますので、こだわりの少ないウェイト版について、少し見ていきます。

ウェイト版の「17:星」のモチーフが、「ネツァク」が最初の「創造」であること、つまり
『創世記』の最初の物語の部分であることは、描かれている絵を見ればわかります。
遠景にある木は「知識の木」であり、これと対比する「生命の木」は、前景の全裸女性像と
いう構図になっています。
ちなみに、この全裸女性像は、天界からの「尽きることのない水」を、大地と海とに流して
いますが、この源泉となるのは「ビナー」の「生命の水」であり、至高の「ビナー」と、
人格の「ネツァク」、そして肉体の「マルクト」を結ぶ流れの中で、重要な中継点の役割を
担っているわけです。
特徴的なのは、ウェイト版の「17:星」は、「娘」でも「嫁」でもなく、豊満な肉体を持つ
「母」のようであるという点です。
そう、彼女は、いわゆる「大地の母」であって、この絵は、その子供である大地に「母乳」
を与えているという授乳の構図になっているわけですが、ピクシーたんの描くウェイト版の、
なぜかエロ成分控えめという特徴は、こういうところにも発揮されているのでした。
0312名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/19(火) 06:24:33.76ID:rMFnUo14
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
The airy sign Aquarius, associated with peace, love and inspiration, is given to
this Path.
平和、愛情、そして霊感に関連付けられた、空気の宮である「宝瓶宮(みずがめ座)」が、
この「小径」に割り当てられる。

In the ancient world, Saturn was said to govern Aquarius, which refers us again
to Binah and, in fact, to THE UNIVERSE.
古代の世界では、「土星」が、「宝瓶宮」を支配すると言われており、それは再び我々を、
「ビナー」へ、そして、それどころか、「宇宙」へと注目させる。
--- ここまで ---

「宝瓶宮」は、現代では「天王星」が支配星となっていますが、1781年に「天王星」が
新しく発見される以前は、「磨羯宮(やぎ座)」の支配星と同じ「土星」が支配星として
割り当てられていました。
つまり、カバラとしては、「17:星」=「宝瓶宮」=「土星」という解釈となります。
ちなみに、この土星つながりにより、「ビナー」や「21:宇宙」との関連性が出てくる
わけですが、これは、「至高の母」から始まる「物質化」の流れを示しています。
つまり、「ケテル」から発せられた純粋エネルギーが、「物質化」という形で発現し、
最終的に地上の「物質」になるという流れになってるわけです。

ここは、建前上は「至高の父(コクマー)」と「至高の母(ビナー)」の息子である
「ティファレト」が実権を担っていることになっているのですが、実際の作業の多くは、
「至高の母(ビナー)」の化身である「ネツァク」や「17:星」が、その役割を担って
いるという感じですよね。

要は、やりくり上手な「母」が一生懸命に蓄えた「生命を育む水」を、「17:星」の娘が
何らかの方法で下界へと受け継いで、我々の大地へと流出させているという構図です。
そう考えると、この「17:星」は、下位世界において、すごいことをやっているわけなの
ですが、どうしても「おっぱい」の方に注目してしまうのは、一種のトラップなのですかね。
0313名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/20(水) 06:25:15.09ID:/BdfvfZZ
そろそろ容量オーバーで、次スレ移行の時期ですので、
念のために書いておきます。

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