>>839
> ID:ozV7shZN0さんはひよっとしてロシア料理のプロな人ですか?
全然。大学で制禦工学を勉強したときに、ロシアがその分野で先端を
行ってたからロシア語を勉強しただけ。
神保町の『サラフォン』は、教授に連れていってもらった記憶がある。
大学の近所は農家が多くて、坪井町近辺の安アパートに下宿してる
学生が多かったので、「下宿の溶鉱炉」(by 河合 隼雄。出典は
『おはなし おはなし』)的な料理は流行ったのよ。
牧野研究室は、『喫茶 まきの』『料亭 まきの』『割烹 まきの』とか
云われて流行ったんだぞ? 後輩が育ったので、十年くらいは
営業してたと思うんだが。