まるでスーパー・ドライのような《エロイカ》。いや、スーパー・ドライは少しは味があるので、この無味無臭の演奏は蒸留水のような、といったほうが当たっているかもしれない。しかし、これは必ずしも悪評ではない。小澤がかつて同じオーケストラを振って録音したブラームスの四番、あのドイツ風ともブラームス風とも縁を切った純白の音楽を極限まで突きつめてゆくと、今回の《エロイカ》に到達するからである。そのこだわり方は並大抵のものではない。これは小澤征爾という指揮者がついにたどり着いた窮極のベートーヴェンの世界なのである。
彼はここで少しでも意味のある音を出したり、感動させようという表情をつけないようにつとめている。ましてや汗くさい、ドイツくさい、人間くさいドラマなどは徹底的に拒否、なんとも明るく爽やかな、ときには室内楽的とも言える見通しのよい音を一貫させてゆく。先般来日のラトルが古楽器オーケストラからの影響を受けて必死にたたかっていた姿もここには皆無。
ぼくなどにはいちばん遠いベートーヴェンに思われるが、需要がなければこのような演奏は決して生まれない。スーパー・ドライの好きな人にビール職人やヱビスを飲ませると、ドロドロしてまずいと言うそうだが、この《エロイカ》を好む人もきっと多いのだろう。そうだとすると、日本の食文化もクラシック音楽の未来も暗いと思わざるを得ないのだが……。