紀子の著書を見れば分かるのだが
00年ぐらいから師匠(先代貴)はスカウトなどのやる気を失っていたと述べていた
嘘闘力、パマ田、安芸乃島が引退した頃には体調も悪化してたのだろう

貴ノ浪の現役晩年、わりと部屋が衰退していた時期に師匠交代となったのは確かだが
せっかく二子山ブランドを大きくしてくれた父の功績を無駄にするような迷走が続くことになる
兄や母との意味不明な喧嘩や、勝治とも最後は仲が悪くなったようで新しい関取も生まれない
資金力はあったはずなのにどこへ行ったのかというほど有望株も入ってこない

弟子もロクに育ってないのに一門を立ち上げた。(外国人は入れない主義だったはずだが
貴ノ岩をもってきて関取を抱える親方として一応はカッコはついたが)。未来の理事長候補
ということで益荒雄など6~7人の集まっていたが、足下がしっかりしてないから相棒の嘘闘力が
ヤクザ賭博に手を出し解雇。仲間を何人か失う
小林慶彦、辻本公俊などのバックアップで理事としては順調な時期もあったが
ワガママな性格もあって、多くの親方衆は八角を支持するようになった
トドメをさしたのが日馬事件での暴走で、数少ない支持者だった伊勢ヶ濱とも決裂。
ヤケになって一門を解散。最後の最後までグダグダなまま協会を退職した
これが親方としての貴の正しい歴史だ