そもそも「一代年寄」とは、功績顕著な横綱に対し一代限りで現役の四股名を使い年寄(親方)の襲名を認めるというもので、
過去に優勝32回の大鵬(‘69年)、24回の北の海(‘85年)、22回の貴乃花(‘03年)の3人が所属部屋から独立し、四股名で部屋を開いた。

「大鵬に次ぐ優勝31回の千代の富士は、‘89年に理事会から提案されるも辞退。史上最多の優勝44回を誇る白鵬は、当然ながら5人目として有力視されていた。
最初の大鵬のケースこそ、内弟子集めを例外的に認めて『横綱・大鵬』と『年寄・大鵬』を並立させる工夫として生み出されたというが、
その後の3人の時を振り返ると、『実績』が最重要視され『優勝20回以上』が1つの目安とばかり思っていた」(前出・スポーツ紙記者)

有識者会議の提言書に強制力があるわけではなく、手渡された八角理事長は「そういう場面があれば理事会で審議していく」と話すにとどめているだけに、突然の「一代年寄」の見直しはまだまだ波紋を呼びそうだ。

「襲名候補の白鵬が常々横綱としての“品格”を問われてきただけに、『該当者がいない今こそ…と狙い撃ちされた』なんて声もすでに聞かれます。
『有識者会議』が設置された頃の大相撲の置かれた立場を思い起こせば、勘繰られるのも仕方ない。『有識者会議』は八角理事長の諮問機関です。
元横綱の日馬富士による傷害事件などの不祥事が相次ぎ、白鵬もまた、『八角理事長の顔に泥を塗った』と批判されるようなことをしていましたからね」(スポーツライター)

‘17年11月に発覚した日馬富士の傷害事件では、白鵬も事件現場に居合わせ、貴ノ岩への暴行の関与について疑惑が持たれた。
騒動中には、力士会で貴乃花理事を巡業部長から外してほしいと発言し、平成の大横綱2人の対立として、両者の相対する横綱像とともに連日ワイドショーで報じられた。
騒動はもつれにもつれ、結果として貴乃花氏は退職。しかし、最後の一代年寄だった貴乃花氏を追放したことが、奇しくも白鵬にとって命取りになったと言える。