【白鵬は】大相撲記録スレッド 20枚目【またまた仮病】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
大相撲のさまざまな記録に関して語るスレッド
前スレ
【白鵬は】大相撲記録スレッド 19枚目【また仮病】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sumou/1550834846/ こんな低レベル場所で優勝争いにすらからめず、未知の十両力士に期待するしかないモンオタ涙目www 白鵬が作った数々の汚い記録は永遠に破られることが無いんだろうな糞だ! 来場所は昭和以降初めて、現役横綱以外の大関経験者の中で大関陥落未経験者がゼロに この際仮病二横綱にも引退してもらって大関一人で番付に何と書かれるのか見てみたいわ 根拠は無いけど横綱大関って番付に書かない気がしてる。
ある日突然張出が無くなった前例あるし
まあ、すぐにわかることだけど 貴景勝以外の上位はみんな引退近そうだから、次の大関候補は激甘昇進ありそう。
今のところそれは朝乃山だけど10-10-10の30勝程度で上げそうで嫌だ 令和になってから5場所連続で優勝者が違う
去年は白鵬が複数回優勝したけど、来場所も白鶴御朝徳以外の力士が優勝したら1年間優勝者が違うことになる 本割14勝以上の場所
38回 白鵬
22回 大鵬、千代の富士
16回 貴乃花
15回 北の湖
14回 朝青龍
11回 栃錦
9回 輪島
7回 北の富士
6回 双葉山、日馬富士
5回 若乃花(初代)、玉の海、旭富士、鶴竜
4回 羽黒山、鏡里、柏戸、曙、若乃花(2代)、若乃花(3代)
3回 琴櫻、三重ノ海、隆の里、北勝海、武蔵丸
2回 照國、千代ノ山、東富士、吉葉山、栃ノ海、佐田の山、若嶋津、小錦、貴ノ浪、把瑠都
1回 安藝ノ海、時津山、朝潮(3代)、朝潮(4代) 、若三杉、富士錦、玉乃海、魁傑、琴風、北天佑、大乃国、霧島
琴富士、琴錦、魁皇、栃東大裕、千代大海、琴欧洲、琴奨菊、鶴ヶ嶺、旭國、双羽黒、雅山、清國、豊ノ島、豪栄道、稀勢の里、栃ノ心、逸ノ城、徳勝龍 本割14勝の場所
23回 白鵬
15回 千代の富士
14回 大鵬
12回 貴乃花
10回 栃錦
9回 朝青龍
8回 北の湖
6回 輪島
5回 旭富士、鶴竜
4回 北の富士、玉の海、若乃花(初代)、鏡里、曙、若乃花(3代)
3回 双葉山、若乃花(2代)、日馬富士、羽黒山、柏戸、琴櫻、北勝海
2回 東富士、栃ノ海、佐田の山、小錦、貴ノ浪、把瑠都、三重ノ海、武蔵丸
1回 安藝ノ海、朝潮(3代)、若三杉、富士錦、魁傑、琴風、北天佑、霧島、隆の里、照國、吉葉山、千代ノ山、若嶋津
琴富士、琴錦、魁皇、栃東大裕、千代大海、琴欧洲、琴奨菊、鶴ヶ嶺、旭國、双羽黒、雅山、清國、豊ノ島、稀勢の里、栃ノ心、逸ノ城、徳勝龍 本割14勝以上0回の力士の本割13勝2敗
5回 琴光喜
4回 豊山勝男
2回 貴ノ花利彰、武双山、栃光正之、照ノ富士
1回 佐賀ノ花、増位山、安念山、若羽黒、北葉山、若浪、高見山、金剛、多賀竜、水戸泉、出島、貴闘力、三根山、長谷川
羽島山、大内山、琴ヶ濱、前の山、北勝力、五ツ嶋、松登、若秩父、陸奥嵐、龍虎、大受、朝赤龍、遠藤、碧山、御嶽海、貴景勝、玉鷲、正代
貴ノ花利彰・御嶽海のみ優勝2回(共に13勝2敗と12勝3敗それぞれ1回ずつ)
唯一の優勝が13勝2敗 佐賀ノ花、増位山、安念山、若羽黒、北葉山、若浪、高見山、金剛、多賀竜、水戸泉、出島、武双山、貴闘力、琴光喜、貴景勝、玉鷲
唯一の優勝が12勝3敗 三根山、長谷川、照ノ富士 本割15勝の場所
15回 白鵬
8回 大鵬
7回 北の湖、千代の富士
5回 朝青龍
4回 貴乃花
3回 双葉山、北の富士、輪島、日馬富士
2回 隆の里
1回 羽黒山、照國、時津山、吉葉山、千代の山、玉乃海、栃錦、若乃花(初代)、柏戸
玉の海、若乃花(2代)、三重ノ海、若嶋津、大乃国、武蔵丸、豪栄道 徳勝龍今後の成績予想
令和2年
春 西前頭3 2-13
夏 東前頭12 4-11
名 西十両1 6-9
秋 西十両5 2-5-8
九 西幕下4 3-4
令和3年
初 東幕下8 7-0 幕下優勝
春 不祥事により中止
夏 西十両11 6-9
名 東十両14 8-7 白鵬をはじめ彼と同時代に生きた力士たちは、不祥事で本場所中止、63連勝記録達成、日本人横綱誕生、元号切り替わり、国技館にアメリカ大統領登場、幕尻優勝、そして横綱大関という地位登場などという数多くのイベントを経験したことになるのか >>5
大関全員バツイチってことか。だれか復帰すれば、なお濃いな。 >>7
突然脈絡もなく変更される事があるのは確か。
だから横綱大関表記が行われない可能性はないとは言えない。
だけど、根拠に基づく考えとしては横綱大関になると思われる。
かつて大関不在、横綱存在の状態で横綱大関の表記が使われなくなった時期があったが、批判があった為に横綱大関の表記が復活している。
つまり理由あってわざわざ戻した物を再度廃止する理由がない。
張出の廃止も番付表での表記に不都合があった為に行われたのであり、その後復活しないのはその理由がないからだ。 関脇への降下が確定した場所で引退したのは、豊山以来? >>7
同意。今場所の中継でも、来場所横綱大関がみたいな話は一切なかったし
今は横綱が頂点ってのが常識だし、横綱は称号、番付上の最高位は大関って考えはもう過去のもの。
60年前にどんな批判があったんか知らんが、前回の横綱大関から30年経ってるんだし、番付も番付表ではなく新聞、いやスマホで見てる人がほとんどでしょ。
横書きの番付表が定着した現在、各サイトでも「横綱大関」なんてややこしい書き方をする必要はないし、空欄にしたところでなんら不自然に思わない >>16
日本人横綱の前に10年ぶり(純然たるw)日本人優勝が入りますね 今場所の横綱大関の勝敗の合計は
18勝21敗(うち不戦2)21休
不戦敗を除いても、つまり純然たる土俵上での成績でも負越しか
しかも対戦相手はすべて関脇以下なのに・・・ >>19
今気になっているのは公傷制度の復活
恐らく復活は無いとは思うが、例えば「一人につき一度だけ行使可能」のような条件付き復活なんていかがでしょう? 公傷認定の診断は協会指定の医師だけが行える、ただし休場の為の診断書は従来通りどこの医師の物でも良い。
公傷で維持した番付の期間は給与が大幅にカットされる。
例えば関脇小結力士が休場し、翌場所全休しても幕内を維持出来るような場合は公傷を使うと給与的に損をする、など。
要は濫用されないように厳しく公正な審査と条件を課せば、復活は可能じゃないかな。 >>16
あと、東京五輪か
両横綱も何だかんだでそこまで持ちこたえるだろう >>25
基準が曖昧だったことも濫用に繋がったようですね
本場所が終わり一段落ついたところでちょっとした記録のお遊び
在位中の大関を最少何人繋げたら100年前(1920年1月)まで遡れるか?選士権
ルール
・最終的に大関止まりだった力士のみで繋げる
・ある力士が引退や大関陥落した場合、次の場所に昇進した力士となら連結OK
・該当力士無しの期間(最高位横綱の力士しかいなかった期間も含む)は一期間につき一人としてカウント
では豪栄道からスタート! >>27
豪栄道→琴奨菊→把瑠都→魁皇→千代大海→貴ノ浪
ここで一旦途切れるところまで行けるはず。 >>28
レスありがとうございます
豪栄道2020年1月〜2014年9月
琴奨菊2014年7月〜2011年11月
琴欧州2011年9月〜2006年1月
千代大海2005年11月〜1999年3月
貴ノ浪1999年1月〜1994年3月
該当力士無し1994年1月
小錦1993年11月〜1987年7月
若嶋津1987年5月〜1983年1月
琴風1982年11月〜1981年11月
該当力士無し1981年9月〜1981年5月(1981年9月は空位)
増位山1981年3月〜1980年3月
貴ノ花1980年1月〜1972年11月
清国1972年9月〜1969年7月
該当力士無し1969年5月〜1968年11月
豊山1968年9月〜1963年3月
北葉山1963年1月〜1961年7月
琴ヶ浜1961年5月〜1958年5月
松登1958年3月〜1956年1月
大内山1955年9月〜1955年5月
三根山1955年3月〜1953年9月
該当力士無し1953年5月〜1951年9月
汐ノ海1951年5月〜1950年1月
佐賀ノ花1949年10月〜1944年11月
該当力士無し1944年5月
名寄岩1944年1月〜1943年1月
該当力士無し1942年5月〜1942年1月
五ツ嶋1941年5月〜1941年1月
該当力士無し1940年5月〜1940年1月
鏡岩1939年5月〜1937年1月
清水川1936年5月〜1932年5月
能代潟1932年3月〜1931年1月
大ノ里1930年10月〜1925年1月
太刀光1924年5月〜1923年5月
千葉ヶ崎1923年1月〜1918年5月
該当力士無しの期間7回を含めて34人相当でした
調査中に能代潟の昇降に関して疑問が湧いたので、そちらは又の機会に考察してみます 逆に100年前から年代通りに現在へ繋げたら違った顔触れ(人数)になりそうですね
面倒なのでやらないけどw まあ当然の横綱大関記載だね。
頭の中身のねじくれた人間でなければ普通にそう考えるところ。 つまんね空位にしときゃいいのに
立行司だって伊之助が不在になったからって「庄之助伊之助」なんて言わんだろ 「横綱大関」の記載があることを「つまんね」と言い
意地でも「横綱大関」を見たくないという奴の気持ちが謎 >>36
おそらく>>7=>>21が未練がましく食い下がっているだけじゃないかな 28代横綱大錦(大阪相撲)は大正6年の1月場所、6月場所に朝日山で出場した
師匠の遺言で二枚鑑札で襲名した 文政10年春東前頭張出大空武佐エ門は227cmになってるし
そんなにこの時代に集中するか >>41龍門好五郎1807年生まれ1833年没、やはり短命 今気付いてんけど、先場所の東西の幕尻の合計25勝(霧馬山11勝+徳勝龍14勝)って新記録だよね
そして今後しばらく破られそうにない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています