2 名前:リーガφ ★[] 投稿日:2010/05/23(日) 22:02:35 ID:???0
特に、興味深い発言をしたのが中村俊輔だ。
「奇跡とかミラクルが起きる時って1つになる感じがある。味方の尻拭いをするくらいの犠牲心持ったり、リスペクトしあったりする。
96年のアトランタ五輪でブラジルに勝った時もそうだし。あとはワールドユースで2位になったイナ(稲本潤一=川崎)や伸二(小野=清水)の時を見てれば、1人1人の役割が分かる。播戸(竜二=C大阪)がトルシエの真似したりとかね。
バンはすごく活躍したわけじゃないけど、必要な役割を担っていたと思うから」と彼は切り出した。話は自身が落選した2002年日韓大会にも及び、「2002年の時、自分はベンチスタートの枠に入らなかっただろうし、
それはプレースタイルとかうんぬんじゃなくて人間性の問題だから…」とサラリと言ってのけたのだ。
忘れもしない、日韓大会メンバー発表のあった2002年5月17日。東戸塚にあった横浜F・マリノスのクラブハウスで俊輔の落選会見が開かれた。
当時、彼はトルシエの左アウトサイド起用が嫌で、我々の前でよく愚痴をこぼしていた。それがメディアをにぎわせ、指揮官には「エゴイスト」と映った。
後にトルシエは「本大会を1ヵ月半戦うことを考えると明るく社交的な人間を選ぶ必要があった。あの頃の中村は髪の毛で目が隠れていて暗い雰囲気だった。性格的にもオープンでなかった。
そういう選手をチームに入れることにリスクがあったのは確かだ」とズバリ指摘している。しかし、2002年時点の俊輔にはそこまで考える余裕が全くなかった。「トルシエに不満があるなら、
なぜ直接話し合って解決しなかったのか」という私の質問にも「監督にそんなこと言う必要はない」と拗ねたような物言いをするだけだった。
そんな8年前の姿を知っているから、トルシエに理解を示す発言をするとは非常に驚いた。この変化は「自分」より「チーム」を中心に考えられるようになったことの証明だ。
「チームを支えるところで少し力になれれば。今のところはそれしかないしね。今日もどんどんそういう細かいことを言うようにしてた。
森本(貴幸=カターニャ)にしても相手との間が空いてたんで、気づいたから『寄せろ』と言ったし。そういうのも自然に出ればいいよね」と周囲に気を配って、何とか同じ方向を向くようにしたい。今の俊輔は「自己犠牲の精神」が強いようだ。