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■セルジオ越後
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【経歴(自称)】
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1963-1969…コリンチャンス
コリンチャンスの右ウィングとして活躍し、
ブラジル代表候補に内定したが一身上の都合で辞退。
観客は「日本人を出せ!日本人を出せ!」と騒ぎ出す。
エラシコを考案し、リベリーノに伝授したのは自分。
「さわやかサッカー教室」の指導員として
全国各地で青少年のサッカー指導にあたる。
教え子は50万人以上。


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【本当の経歴】
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1964-1965…コリンチャンス(11試合0得点)
1967-1968…トレスポンターノ(ミナスジェライス州2部)
1971    …ブラガンチーノ(サンパウロ州2部)
1971    …パウリスタ(サンパウロ州1部)
1972-1974…藤和不動産サッカー部(40試合6得点)

コリンチャンスで活躍できず1年で戦力外。
州2部のクラブへ移籍するも1年で退団。
その後、ブラガンチーノ/パウリスタに在籍するが1年で辞め日本へ。
引退後、資格を持っていないのに指導者を続けようとして問題になり、
賀川浩氏に泣きつき「さわやかサッカー教室」の特別指導員となる。
指導力のないセルジオは、
子供たちにリフティングや体格差を活かしたドリブルを見せるだけ。
教え子50万人以上という数字(自称)は、
資格を持ち全国を回って20年指導していたトム・バイヤー氏の数字。

「元気が出るテレビ」に出演し、ビートたけしに絶賛された事で知名度を上げ
その後、主にテレビ朝日で解説者の仕事を長年続けるが
監督経験もコーチ経験もなし。コーチライセンス自体持っていない。
いつもその時々に目についた選手を批判するだけの「ネタ解説員」。
2017年、日本のために顕著な功績を挙げた人物に送られる「旭日双光章」を
なぜか政府から受け、以降日本を褒める事はほとんどなくなった。

経歴がおかしい上に、
一切自腹で日本のスタジアムには観戦も行かず、取材にも行かない。
勝手に批判しているだけの存在なのに、なぜかサッカー界の重鎮扱いで
一部選手からも嫌われている。

しかし、芸人の土田晃之は「日本のサッカー界作ったのはセルジオ越後」と
称賛している。