コミンテルンスキー場を語ろう!
いわもとの悲劇は、いつもダイレクトメールから始まる。
「同志会の合宿訓練があるから参加されたし」
差出人は連名。いずれも同門の盟友で、一流の登山家になった。
一人はカンチェやナンガの登頂に成功しつつ凍傷で指二本なくした。もう一人はミニヤコンカで雪崩にまきこまれつつ生還などの経歴を持つ。
差出人は"同志会"とだけあり山学同志会ではなかったが、気に留めることはなかった。
zinにバカにされて返す言葉なかった自分を情けなく思う気持ちは、心の底にくすぶり続けていた。
この機会に自分を鍛えなおすか、と参加を決意し、休暇願を出して谷川岳麓に向かった。
会場は旅館を借り切って行われた。
二人が出迎えてくれた。 集まったのは、山男というより根暗なインテリという感じだった。
参加者が紹介されている間に、盟友はいなくなっていた。会うのは10年ぶりで積もる話があったのに。
最初の課題は、農作業と土木工事。
基礎体力作り?ならウェイトやったほうが効果的だ。
植村直巳さんは現地の生活に解け込むことを大事にしていたので、その伝統を踏襲したのだろう、と熱心に取り組んだ。
昼食はカンパンと水。今時、軍隊か?これも、粗食に耐える訓練と受け入れた。
作業は日没まで続き、夕食が終わると座学が待っていた。分厚い教科書を渡され、順番に音読。重要なところは何度も復唱させられた。
教材は経済の教科書のようで登山に必要とは思われないが、株に役立つなら何でも歓迎。
資本に関する論述で、著者はユダヤ系ドイツ人、本業はジャーナリストとか。
経済の本であるのはわかったが、読みなれた株の話とはアプローチが違っていた。
興味持って聞いたのは最初の30分。座学は深夜まで続いた。
昼間の肉体労働で疲れて意識朦朧、早く寝たいところを無理に読まされるので、考えることなく潜在意識に入っていった。
こんな調子で、睡眠時間と食事が極端に削られた。
翌朝は夜明け前に叩き起こされ、農作業が始まった。日没まで肉体労働、それが終わると0時まで座学。
休めるのは食事後の20分のみ。その食事も、一日二回。
二日目から、演説の練習が入った。渡された原稿を覚え、鏡の前で手振り身振りを加えて力強く訴える。
「これが登山と何の関係あるんだ?」と疑問をはさむ余地なく次の場所に連行されて課題を与えられる。気を抜いていると容赦なく鞭が飛んでくる。 三日目はバスで渋谷に移され、アジ演説の実習
鏡の前で何度も何度も練習したから、すらすらと言葉が出てきた。ただ、言葉の意味はまったく理解していない。
脱走のチャンスはことごとくつぶされ、谷川岳に連れ戻された。
翌日も変わらず肉体労働と座学(教理の音読)。
このころになると、登山の訓練が目的で参加したことを忘れていた。何も考えなくなりつつある自分が返って心地よく感じられた。
この繰り返しで、一週間はあっというまに過ぎた。
予定ではあと1時間で解散だ。安堵の気持ちと少しばかりの名残惜しさがあった。
いわもとだけ別室に移され、女性職員が、「書記長より卒業証書が授与されますから、ここで待っていてください」と。
こうなると、オチは見えている。 窓から景色を見ていると、青毛馬に乗ってzinが現れた。四白に額の星。ビートブラックだ。
種牡馬にする話がまとまっているところを、繁殖期のみ貸し出す条件でコミンテルンスキー場所有になったそうだ。
所有名義はコミンテルンスキー場だが、実質、zinの個人所有だろう。
「どうしてコイツはこんなに偉いんだ?テレマーク界では万年下っ端なのに。」
TAJのイベントやショップで見るじんとのギャップには慣れたが、このからくりはわからない。
同時に、天皇賞馬を横取りした交渉力から、コミンテルンスキー場の組織はかなり根を張っているのを実感した。
世間話がひと段落すると、卒業証書が読み上げられた。
「自らの強い意思で参加され、、、献身的な努力をされ、、、優秀な成績をおさめられ、、」自分で書いた文章を読みながら、必死で笑いをこらえているのが伝わってくる。
コミンテルンスキー場で見せる満面の笑みと違い、口元がニヤニヤ笑っていた。蟻を電子レンジで焼き殺したときなど、弱い者をいじめるときに見せるサディスティックな満足だ。
過去、zinはいわもとに斤量20kg負わせてコブを滑らせたりしたが、その時はここまで冷淡な表情はしなかった。おそらく、いわもとの自由意思を完全に抜き取った満足感からそうなるのだろう。
証書読み上げは、「以上により、貴殿を立派な同志と認定します」と結ばれた。
こうしたzinの態度にいわもとは怒ることもなく、むしろ、共同体に認められたことにほのかな誇りを覚えていた。
いつもは、zinがいるだけでイライラするのだが、今回は親戚のおじさんが現れたような安堵感がある。 卒業証書と教材を手に、俗世の迷いからすべて解放されたような晴れやかな気持ちをいだきつつ、駅に向かった。
帰路の列車で洗脳が少し解け、自分の置かれた状況を客観視する余裕が出てきた。
「あの合宿訓練は、統一教会がやる洗脳ではないか?」
「同志会とは、山学同志会ではなく共産主義者の同志だったか」
自宅に戻ったいわもとは、zinへの仕返しはいずれ考えるとして、まずは普通の生活に戻ることを優先した。
翌日は仕事帰りに風俗に行き、帰宅後は株の雑誌を読みふける、と。
読みなれた株の雑誌が初めて見る新鮮さにあふれていた。
その後、不思議と株で儲かるようになった。
「今は調子よいがこの産業が今後も伸びるわけない」というのがピタリ当たるようになった。
営業マンやアナリストの嘘が見抜けるようになった。「こうやって騙して買わせるのだな」と。
理由はわからなかったが、儲かれば理由は何だっていい男。含み益にウハウハしながら毎日のように風俗に通った。とはいえ、行くのは相変わらず地球外生物の店。質より量の男だ。
合宿でもらった「資本論」という教科書は、実に役立つ。さすが、ユダヤ人の金融ジャーナリストだ。
同志会合宿訓練に参加したのが良かったのか悪かったのか、気持ちの整理がつかず、zinへの仕返しも有耶無耶なまま一か月がすぎた。
当初期待した山岳訓練とは似ても似つかぬことをやらされたが、今ではそれが良かったことにさえ思えてきた。
そして今は、風俗嬢相手に共産主義の正統性を説いているのである。