ある西日本の地元では、本放送の1973年を最初として、
再放送が学校の夏休みシーズンなどの夕方に何度か繰り返された
記憶がある。最初の本放送時は中学二年生だったが、大学の2年生に
なるぐらいまでに、実家に夏休み帰省すると放送していた記憶がある。
少なくとも二度は再放送があったと思う。しかし、Wikipedia
などをみると、まるで再放送は1度しか行われていないかのようだ。
なぜだかよくわからない。自分の中二の時の再放送では、小学館に
小4の時に連載開始された小学館の学年誌を読んでいた比率が多かったので、
そんなにマイナーな作品だとは感じられなかった。ただ、本作が放送
される前ぐらいから、かつてのオバQやパーマンなどにくらべて
藤子不二雄(当時はまだユニット)の人気は没落気味という印象は免れなかった。
怪物君(週刊誌)、梅干し殿下(小学館の学年誌)、21エモン、
ドラえもん、どれもアニメにもなったが、オバQやパーマンほどの
人気はとれていたとは思えず、藤子不二雄はスランプっぽいと子供心に思った
ものだ。
 パーマンを別とすれば、どれもこれも変な奴が家に入り込んできて
かき回すギャグ漫画というパターンだと、作者自身が認めていた。
どころが、ドラえもんの放送が終わったころから、急にドラえもんが
人気を急上昇してきて、その後日本の漫画産業のNo1ぐらいの地位に
上り詰めたのは奇跡のカムバックだったと思う。1996年9月23日に
F氏は無くなったけれども。