タヴィストック研究所の心理学者ピーター・ボーン博士が、合衆国大統領候補としてジミー・カーターを採用することにしたのはほかでもない。
ただ単にカーターがアナポリスの海軍兵学校でハイマン・リックオーヴァー提督の管理する集中洗脳訓練を受講済みだったからである。

1956年、ポール・メロンの「旧自治領財団」〔旧自治領とはヴェージニア州のこと〕はタヴィストックに9万7000ドルを寄付し、以後3年のあいだ1年に1万2000ドルずつ寄付した。
旧自治領財団は「アンナ・フロイト財団」にも1年に8000ドルずつ寄付した。

タヴィストックはロスチャイルドの故郷のフランクフルトで二つの研究所を運営している。
フランクフルト社会研究所〔マックス・ホルクハイマー、エーリッヒ・フロム、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼらのいわゆるフランクフルト学派の拠点。
1933年ジュネーブへ移転、1934年コロンビア大学へ移転、1950年フランクフルトに再建〕とジグムンド・フロイト研究所である。

合衆国における強制的人種差別廃止の「実験」は、ロナルド・リッパ―によって組織された。
リッパ―トはOSSの出身で、アメリカ・ユダヤ人会議に所属し、地域関係委員会で児童訓練部長を務めた。
この計画は、自分のアイデンティティーや人種的伝統をよく知っているという個人の感覚の破壊を意図したものだった。

タヴィストックはスタンフォード研究所(SRI)を通して全米教育協会(NEA)〔合衆国最大の教員組織〕を支配した。
全米訓練実験所「NEA所属」の社会調査研究所〔クルト・レディンが創立した〕は、民間および政府の指導的幹部たちを洗脳している。

タヴィストック研究所の影響力はあまりにも強大で、合衆国の宇宙計画全体が9年間もスクラップされた。
その結果として、旧ソ連は追いつくことができたのである。

宇宙計画の中断を要求したのは、アナトール・ラッパポート博士が執筆した論文〔1966年、タヴィストック研究所の機関誌『人間関係ジャーナル』に発表、博士は同誌編集長〕だったが、
政府がさっさと発表したので、NASA(アメリカ航空宇宙局)の関係者たちは、だれもがまったく狐につままれたような気分にさせられた。
もう一つのタヴィストック研究所の有名な工作の結果がペンシルベニア大学ウォートン経済校である。


P311 ◇タヴィストック工作に不可欠の武器―麻薬◇