「」は「ラグビーの世界史」の引用

「1933年のRFU大会は、
RFUの「活動を英語話者に限定すべきである。」という見解を表明し、1935年にはRFUを「英連邦」に傾注するほうを選んで、世界の会員の受注を停止した。」

「1932年、ムッソリーニの官房はRFUに書簡を送り、
ラグビーの普及の推進を目的としたFIFA形式の連盟を創設するために、ヨーロッパ・ラグビー・フェデレーション会議の開催を求めた。
この提案はトウィッケナムにより「実現不能であり望まれない」としてそっけなく却下される。」

これに加えて、フランスを五か国対抗から追放して、FIRAを形成した後に、
「FIRAの影響力増大に対する懸念がおそらく要員となって、英国はフランスを呼び戻した。」

このほかにも、ドイツやアルゼンチンでラグビー支持派は、基本英国の影響を受けている層だったのが、読み取れるな。
それからリーグとユニオンの綱引きは今に始まったことじゃないことも読み取れる。

この辺が今に続く、英国圏でしかユニオンがないことの原因だと思う。
で、ピチョットも辞めるとこになったと。