コングリゲイション(合同教会)運動については、新島襄自身が、どうも日本国内でプロテスタントが大きく合同しようという動きに反対だった人だ。
新島襄は早く死んでしまって(46歳、1890年)いるので、きちんとした本を残していない。
手紙とかそういうものだけが残っている。アメリカン・ボードというのは、このコングリゲイションの運動そのものであり、世界中に、宣教師を派遣するためのアメリカ東部の大きな機関だった。
どうも新島襄はアメリカン・ボードとも分かれたようだ。彼は、日本独自のキリスト教の信仰をつくっていくべきだ、と考えたらしい。