古来からある「男色」(男性同士の同性愛)
〜決して「快楽のため」だけではない〜
恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった

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江戸時代の書物や浮世絵には女性同士の同性愛に関するものが少ないのに対し、
男性同士に関するものは、当時の男色(男性同士の同性愛)の環境が
どのようなものだったかを知るには事足りる情報量があるように感じます。
実際、江戸時代以前は男色の経験がある男性は多かったようですが、
男色の関係にいたる理由は、なにも”快楽のため”だけではなかったようなのです。

『僧侶にとって男色は通例行事』

平安時代あたりからすでに、稚児として寺に入ってきた少年を僧侶が溺愛し、
男色関係におよぶことは行われており、
宗派によっては稚児灌頂(ちごかんじょう)という儀式を経て稚児の初夜を迎えるところもありました。
当時の仏教界にとって男色は当然の儀式と言っても過言ではななかったのかも知れません。
僧侶は女性と交わりを持てば女犯として罰せられたわけですからね。

『戦国武将には男色の話がやたら多い』

また、戦国時代の武将が男色好みだったという話はやたらと多いです。
織田信長や前田利家、武田信玄、伊達政宗など有名な武将にも男色に関する逸話が残されています。
戦国時代の武将の男色の相手は小姓(将軍のそばに仕えた者)だったことが多く、
小姓は武将に好かれるための手段として、出世のための手段として関係を受け入れていた可能性は大いにあるでしょう。
無論、拒否することも難しかった身分ではあったでしょう。
後の江戸時代に鍋島藩士・山本神右衛門常朝(やまもと じんえもん じょうちょう)が
口述した武士の心得をまとめた武士道のバイブル「葉隠(はがくれ)」にも、
男色(衆道として)の心得が記されているほどです。

『同志の契りとしての男色』

また、戦国時代は戦が長引けば、武士たちはずっと男たちだけの共同生活を強いられます。
単純に周囲に女性がいなかった為に男色に走る者もいれば、
生死を共に生きていく中での団結力の手段として、男色の関係をもつ者もいました。

男色が一種の”契り”にも近い役割を果たすことで、自分の勇気を相手に示すために、
男色の関係を経た武士は戦場でより一層の力を発揮したとも言われています。

江戸時代に入ると戦も減り、同志の契りとしての男色の関係も少なくなっていったようですが、
新選組などに男色ブームがまき起こった背景には、彼らにそのような感情が少なからずあったのかもしれませんね。