安倍が延期を強いられる状況になったとき、花道としてどうしても現役総理のときに
オリンピックを延期開催したかった。ゆえに、当時最も合理的可能性の高かった2022年への延期が
安倍からは提案される余地ゼロで、結局、その科学的知見の不足により、あり得ない2021開催の
幻影、幽霊といってもいい、宰相の野心の幽霊とつきあわされているような心地になる。
2022にしておけばよかったのだ。安倍には自分のいない時代のことなどどうでもよかったのだ。