【1980年】レークプラシッド五輪【アメリカ】 [無断転載禁止]©2ch.net
正直80年代までの冬季五輪は夏季五輪と同年開催だったし、
日本は今と違ってメダル有望種目が複数あるわけではなかったから盛り上がりに欠けて、
世間一般的にはほぼ空気に近かったよな 冬季五輪で一番面白かった大会だな。エリクハイデン、アイスホッケー、アルペン、みんな新鮮でよかった。アメリカーソ連のアイスホッケーは生放送と録画と二回見たわ。 >>5
男子スピードスケートのですよ。
500、1000、1500、5000、10000mの全種目制覇。
当時でも離れ業だったけど、短距離と中長距離が完全に別物になった
現代では再現できないでしょうね。 70m級ジャンプで銀メダルとった八木という選手がいたな〜
もう亡くなったと思う >>8
地元米国の選手です。
70年代後半の世界選手権5種目総合や世界スプリントを
連覇していたからフロックではないけど、複数種目の合計ではなく
各種目で1位を獲ったのは運と実力を兼ね備えていたからでしょうね。
大会後はあっさりと第一線から退き、本業の医大生に戻ったけど、
80年代前半、アメリカで自転車ロードレースがブームになったこと
もあり、客寄せパンダのような形でプロ入り。
セブンイレブンチームの一員として、ツール・ド・フランスにも
参戦したけど、こっちでは全く通用しなかった。 >>9
八木さんはまだまだお若いですよ。
たまにテレビで解説していなかったけ?
札幌五輪銅メダルの青地さんと勘違いでは? エリクハイデンがカンペを読みながら選手先制したのが新鮮な驚きだった。 レークプラシッド大会からジャンプ台が同じ場所に並ぶようになった
それまでは70m、90mはそれぞれ別な場所で行われていた そういえばそうだな
最初は凄く違和感あったけど今はそれが標準だな
もしまた札幌でやることになったら久々に別々だな ショートトラックの世界トップで高2の加藤美善が初々しかったけど、
その後、伸びずサラエボには出られなかった。それより日本が勝つのが
当たり前だったショートトラックがメジャーになるにつれて蚊帳の外に
置かれるようになったのに時代を感じる。
ところで五輪直後に大須のスケート場に行ったことがあるが、初心者
がよたよたしている中、加藤等愛知女子商の選手が物凄いスピードで滑って
いた。それより驚いたのが10歳くらいの小さな少女が物凄く高く飛んで
くるくる回転していたこと。後にその少女が伊藤みどりと知った。 ショートトラックってカルガリーで公開競技、アルベールビルで正式採用ではなかったっけ? >>16 誤解を招いたかもしれないが、ショートトラックのチャンピオンが
普通のスピードスケートでも代表になったということ。 滑降のレオンハルトシュトックとアンネマリーもざープレるが印象に残っている。
ステンマルクも当時はスキーに詳しくない人でも名前だけは知っている人が多かった。 >>18
雑誌か何かで、「アバとボルボとステンマルクはスウェーデンの誇る
輸出品だ」なんていうのを読んだ記憶がある。
実際にこれらを図案にした切手がスウェーデンで発行されていたんだよね。 札幌の滑降、大回転で金メダルを取ったナディヒがまだ現役で銅メダルを取った
丸顔のブスなスイスの選手だったな 渡辺絵美を異常に持ち上げる報道がすごかった。
昔から女選手持ち上げる傾向は強かった まぁ、女子フィギュアは冬季五輪の花だからね。
今みたいに日本の層が厚かったわけでもないし。
メディアが彼女に集中したのも仕方ないこと。 ビールマンスピンがものすごく話題になった。
今は知らない外人の技なんかで全く盛り上がらない時代。