今から振り返る、西大和学園躍進のきっかけ

◆2000年入試から、奈良県の統一日程からズラすことで東大寺落ちを一手に引き受ける
(ライバルの奈良学園を蹴落とすことに成功)

◆2002年 理事長の政治力でSSH指定
「こんな素晴らしい制度があって、それに採用された本校も素晴らしいんです」
的なアピールを展開
しかし西大和内部の理科教員は疲弊
(ベテランK氏など)
「学校ではなく企業だ」
「早く辞めたい」

◆2004年京都大学 医学部保健学科(最低偏差値)へ大量合格
20人以上だったか。。
この受験誘導を手がけたのが、当時の高3担当教師「F」
当時は「京大医学部で灘に勝った!」と学内で生徒にアピール(失笑もの)
「とりあえず受かる学科で受かって、後で転学部すればよい」という雑な進路指導をしたため、当然入学者のモチベーションは低かった。
京大のなかでの、西大和の評判もダダ落ちだった
この教師「F」がいま高校の校長になってて、ビックリ
(岡田学園長のもと、高校校長と中学校長の2人校長体制である)

◆2014年入試から中学共学化
アホな男子1クラス分を削って、賢い女子に入れ替え
入学偏差値を高くすることにも貢献


現在に至る。。