実は、この敗戦直前の大戦末期の出来事として、そんなことよりも、もっと重要なのは、
他都府県のエリート旧制中学に「特別科学学級」が設置されて、
敗戦後を見越して特別扱いをしていた時期に、愛知県の前途有望な超優秀な中学生は、
戦前の国家体制から「お前ら氏ねやwwww」と“捨て駒”にされていたことなんだよ(大爆笑)

美談でもなんでもないんだ┐(゚〜゚)┌ 愛知県民は心の中で刃を、牙を、研がなければならないんだ

特別科学学級
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%B4%9A

2.26事件での陸軍教育総監、愛知県出身の渡辺錠太郎の非業の死も、もっと直視しなければならない

渡辺錠太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E9%8C%A0%E5%A4%AA%E9%83%8E

渡辺は給料の大半を丸善書店の支払いに充るなどリベラル派の教養人であり、
教育総監就任後に第3師団の将校たちに対して真崎による国体明徴訓示を批判した[6]。

軍事参議官会議におけるやり取りは真崎によって青年将校に漏らされ、
さらに国体明徴声明への批判は天皇機関説の擁護と捉えられいずれも青年将校の憤激を買った。

(中略)

殺されることを覚悟した渡辺は、傍にいた次女の渡辺和子を近くの物陰に隠し、
拳銃を構えむかえうった。父を目の前で殺された和子の証言によると、
機銃掃射によって渡辺の足は骨が剥き出しとなり、肉が壁一面に飛び散っていた。
布団を楯にして応戦したとの記録もあるが、和子によるとこれは事実でなく、
銃撃を避けるため畳の上に体を横たえて拳銃を構えていた。

渡辺邸には警護のため牛込憲兵分隊から派遣された憲兵伍長と
憲兵上等兵が常駐していたが、襲撃前に電話を受けて2階に上がったままで
渡辺に警告することも護衛することもなく、不審な行動だったと和子は疑問を抱いている。