12月2日午後6時15分頃、近鉄戸田駅前で待ち合わせて、車に乗りこんだ早百合さんを縛
り上げ、猿ぐつわをしたうえで、しばらく隠しておく場所を探して車を2時間ほど車を走らせた
が、適当な場所が見つからず、そのまま戸谷家に最初の脅迫電話をかけた。 
 その後、車に戻ると、早百合さんは「許してください。もう許してください」と泣きながら懇願
してきた。木村はこの時には自分の犯行が恐ろしくなっており、「俺のこと誰にも言わないか?
」と早百合さんを解放することを考えていた。縛っていたロープもはずしている。
 しばらくして、木村は名古屋市中川区内の区画整理中の農道で早百合さんを降ろし、「俺
が車で行ってから帰りなさい」と言ったところ、木村が車に乗りこむより先に早百合さんは走り
出した。木村は慌てて後ろから早百合さんを押さえつけると、早百合さんは大声で助けを求め
た。木村は車に押し戻す様にしたが、激しく抵抗されたため首を絞めて殺害したという。
 翌3日、木村は遺体を三重県との県境に近い東名阪高速道路の木曽川鉄橋にかかる尾
張大橋の河川敷からビニールシートで包んだ遺体を遺棄している。

 殺害後、木村は戸谷家に身代金を要求する電話をかけつづける。
 要求した金は借金と同額の3000万円。ところが脅迫電話をかけ続けていた頃、親族が
借金を全額肩代わりしてくれたため、木村が身代金を要求する理由はなくなった。誘拐を
企てたことはもちろん、早百合さんを殺害してしまったことをかなり後悔しただろう。


 事件後、木村の母親は、遺体が発見された所に地蔵を建てて、祥月命日のたびに供養
に来ていたという。