大教会直属で多くの部内を束ねて来た分教会があります。最近どうも下から上がる上納金に事欠いているらしく、例年開催していた各種行事の金策に困窮する事となり、今後廃止の方向で検討中の模様です。
部内から開催賛助金を徴収しているにもかかわらずです。とにかく信者、教会に足を運ぶ「人間」がいないのです。原資のお金が集まらない。
顔ぶれを見ると当該教会の親族とその家族。総数の内訳は約8割が教会長や教会親族で一般信者はたった2割強でした。行事を開催する意義があるのかと常々疑問に思っていました。
往時は行事を開催すればする程、手元にお金が残ったのでしょうがまさに祇園精舎の鐘の声、何も知らずに入って来た若奥さんの苦渋の顔が痛々しいです。
今はもう上も下もない状況に突入した感があります。表さんの様に金、金、カネと言っても下も降る袖が無い状況に陥っていますから、かつて傲慢がまかり通っていた所も、今頃末端の苦渋を味わっていると言う事です。
いづれこう言う時代が来ると、右肩下がりの現教団の実態を肌で感じていましたから遂にじわじわ直轄教会にも及んで来たかと言う印象です。
今後は、大教会に及ぶでしょう。いえ、既に及んでいます。大教会も人手不足、信者不足でガラガラなのです。
この衰退は親神が人類の救済、一人の人間も不幸に巻き込んではならぬと、働いて下さっている気がしてなりません。
神をないがしろにして来た「人間創作宗教」に成り果てた今、最早信仰者では無い一部本部の人間の欲望活動に多くを巻き込み犠牲を強いています。
神へのご恩報じと謳い、1箇所にお金を集約すると言う活動は、宗教では有りません。神へのご恩報じは一宗教の財布の中に集める事ではなく、互いの人間が人間同士で助け合うこと。平たい社会を実現する事。これが教祖の教えなのですから。
手を変え品を変え、威勢の良いイベントをどんなに開催して人心の歓心をかおうとも、神の思いに背いた活動が成就するはずが無いと思っています。
人間を創った壮大な愛である親神の、その親神の意思を、欲望を持った心で騙す事はそれは無理な計画を画策しているという事です。徒労に終わるのが天の意思かと思います。