川口市は京浜東北線の西側には公立高校が一校もありません。

また、川口市内で最も古い県立普通科の県立川口高校は旧市街ではなく旧鳩ヶ谷市域の北に立地し、
現在まで川口駅周辺や旧市街には移転していません。
川口駅周辺や、川口市の旧市街ともいえる新芝川よりも京浜東北寄り、蕨市よりも南の市域に公立進学校が無いのが問題でした。
市立県陽高校は校地が狭く(但し近接し市立小学校が2校など市所有の土地あり)1学年4学級で、
今から15年ほど前は国公立大学10人という進学目標を掲げていましたがこのような進学校になれませんでした。

今世紀の初めでも、川口市の旧市街、新芝川よりも京浜東北寄りや、京浜東北の西側には、
工場や倉庫などのまとまった土地がまだ残っており、県立高校の新設用地になり得ました。
これらの土地の多くは00年代に工場では無くなったため公立高校新設は可能でしたが、早稲田大卒市長の前市政のもと、
旧市街で貴重なそれらの土地は、安易なマンションや、ショッピングモールに消えました。

川口市内への公立高校新設ですが、東京都の北区周辺にある通学生の埼玉県民比率が高い私立高校のなかから、
埼玉県川口市内への移転と公立転換に同意する高校を市内に呼び込むのも一案だと思います。
私学の公立転換は、東京都では都立府中高校が、前身の私立女子高校から1960年に市立高校転換、翌年、寄付移管で都立高校になった例があります。