今日はセンター試験日。
東大寺学園の生徒さんも数多くが今、受験しておられる。
難関国公立を目指し、長らく研鑽を積んで来られた生徒さんは、まさに今日が人生の岐路と 不退転の決意で臨んでいることだろう。
だからこそ、それが成功につながった時の喜び、達成感、高揚感は高校入試如きとは比較にもならないほど大きなものであり、 一方で成功しなかった時の挫折感、悲壮感、絶望感も非常に大きい。

むろん皆さんには是非とも合格の栄冠を勝ち取ってもらいたいのだが、現実に皆そうはいかないのが大学受験の厳しさでもある。
だからこそ、皆さんに敢えて先に言っておきたい。

この受験の成功如何が後々の人生に多大な影響を及ぼす者とあまり及ぼさない者がいる。
「受験で成功したこと」で後々多大な恩恵を受けられる者は、たいてい、勉強に限らずそれまでの18,9年の人生を真剣に生きてきた者である。
周りの人間を大切にし、何かに真摯に打ち込んで心身を鍛え、社会に心と目を開き、失敗を恐れず挑戦してきた者たちである。

一方、そうしてこなかった者、すなわちただ受験での成功を志向するばかりの高校生活を送り、高校生活で本来身に付けるべきものを身につけてこなかった者は、
仮に受験で成功しても、前者に比べてその恩恵を後々実感する度合いは薄いであろう。
(大学で”生き直して”取り戻した者は、前者より少し遅れて、成功の恩恵を実感できる)
公立進学校や伝統名門私立校において、無理に現役合格にこだわらず、高3の夏までしっかり部活に打ち込んで、必要ならば浪人してもいい、
とアドバイスする大人が多いのは、その現実をよく知っているからである。
また・・そうしてこなかったというよりも、そうする能力が乏しかった者(すなわち発達障害による生来のコミュ障等)は、その後
「あの合格の栄光は一瞬でしかなかった」と嘆くしかないような厳しい人生が待っていることだろう。

受験は非常に重大なイベントだが、また一方ではその程度でしかない。
その酷薄な現実を如実に証明した元学歴エリートがお受験板の奈良県関連スレに長らく常駐して暴れている。
またその現実を端的に考察したものがある。
「高学歴社会不適応者についての考察」
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1451286984/528-534