しかし、天理教の会議はまったくコンセンサスなんてありません。
まず、会議の構造から疑問でした。
いわゆる上座には会長さん(委員長さん)がふんぞりかえっており、
そのまま年功序列と言いますか身分のまま下座になります。
そして、会議が始まると同時に滔々と流れるような定型詩で進み
表面的な話し合いでしかありません。そして、話し合いが行き詰まると
一番上座のエライ人が「いや、神様はこう言っているだ。だって、おふでさきの○○号には
そう書いてある。一話編にも同様の指摘がある。そうだ、今こそ皆でこころを合わせて
やるしかないんだよ!」と終了しました。
僕は始終愕然としました。なぜなら、会議という究極の実務的な場面で
形而上的不可侵の絶対なる神の存在を出しては何も言えないからです。。
実務的な話し合いと絶対不可侵の神では内容も水準も天地違います。
つまり、会議なんてのは名目であって、何も決定する気がないのです。