過去に私は天理教人が、ほかの宗教団体を批判していることを何度か耳にしている。
同属嫌悪だろうか。
歴史的世界的にみても、宗教団体同士の争いというのは非常に敏感で過激であることは
現在進行形でも確認できる。
しかし天理教が持つ陽気暮らしという金科玉条は、
天理教を信仰している人間だけのものではなかろう。
それは詰まるところ天理教が最も嫌いな人間と仲良くすること抜きでは
陽気暮らしなんて達成することはできないということである。
たとえオウムであってもである。
以上のことから私は見てみたい。
天理教が被災した寺社の支援を行うところを。
もし、そういったことがあれば、それは非常に美しい光景だと思う。