弱者を弱者に定位させることは、強者への服従を促します。
天理教で好まれる「素直」という言葉は教義や先人の教えを求道した上での
主体的な悟りであるべきだと私は思います。
しかし、私が「素直になれ」という言葉を天理教人から聞いてきた中で、
そのような主体的な求道精神はほど遠いものでありました。
つまり、そういった言葉は強者によって吐かれ、
そして、それは強者の意向を尊重するように仕向けられた服従の言葉として
使用されていた場面ばかりでした。
弱者もまた強者の意向や強者が望む良い信者という外部圧力を意識した「素直」
を実践せざるを得ず、そこには主体的な求道とは対極に位置するとしか言えません。