李牧は「山陽攻略は中華統一において詰みの一手に近いものだった」と発言。

何十手も先に中華が統一される高度な手を打った昌平君。

これに気づいたのは李牧と楚の春申君のみだったようです。

しかしこの盤面を叩き壊すべく李牧と春申君は合従軍で秦に攻め込みます。

昌平君は「あの一手に気付くものがいるとは思わなかった」と自分の失態を認めています。

このように、
昌平君と李牧は高いレベルでの知の駆け引きをしていた