全国にある宗像神社のなかでも、京都御苑内の神社とともに由緒は古い。祭神の宗像三女神は海上交通の神で、高市の母、宗像氏の信奉する神だった。

 壬申の乱では宗像氏の大きな功績があったとされ、のちに宗像神を鳥見(とみ)山中腹に祭ったのが最初と思われる。高市の後裔(こうえい)が代々祭祀(さいし)を司(つかさ)り、衰退した時期がありながらも一族によって守り伝えられた。幕末から明治にかけて綿密な調査が行われ、いにしえの宗像神社が現在の地に復活した。

高市皇子の子には「悲劇の宰相」と言われる長屋王がいる。父・高市の菩提(ぼだい)を弔うために創建されたと考えられる寺院跡が、桜井市橋本にある青木廃寺だ。ここは今でも古瓦が散見される。