池原ダムから湖畔沿いを走ってしばらくすると、大瀬水没の碑がある。この辺りは、かつて多くの集落が存在し、東の川地区と呼ばれていたそうだ。
しかし、ダム開発によって、昭和40年頃にはすべての集落が水没したという。大瀬集落もその内のひとつだ。
哀愁漂うダム開発の地をさらに奥へと進んでいくと、備後橋という立派なつり橋があらわれる。備後橋の竣工は昭和38年だ。色あせた朱色のつり橋は、違和感なく周囲の自然に溶け込んでいるように見えた。吸い込まれるようにして、橋を渡ってその先へと進んでみた。
備後橋の先には、昭和38年竣工の坂本ダムがある。このような大自然の奥地に突然、ダムが現われるので、驚いてしまった。ダムには慰霊碑もあって、竣工に際して殉職者も相当数あったようだ。