日本で万博を開催しようという動きは、まず1890(明治23)年にありましたが、これは時期尚早ということで見送られ、次に1940(昭和15)年の開催に向けての準備が行われました。これは、紀元2600年を記念した「東西文化の融合」をテーマとする万博で、東京・横浜が会場になるはずでした。
実際に入場券が印刷、発売されるところまで準備が進んだのですが、第二次世界大戦の勃発とともに1938年に中止が決定されました。東京中央区にある勝鬨橋は、この幻の万博のために建設されたものです。