赤穂浪士も命を捨てて大きな事をしでかすからには歴史で自分達がどう伝えられるかにこだわった。
当時の貴賤を問わずに価値観を代表する第一の文献は曾我物語。
曾我物語を聖俗にわたってバイブルのような読まれ方がされている社会に武士を生きている赤穂浪士には
討ち入りに追い立てられる道を避けるほうが至難だったといえよう。
虚実入り交じりながらも、ついには独参湯とまでなったのは、彼らにとって当初の目的を果たしえたと言えなくも無い。
内蔵助が曾我兄弟の墓に詣でて祈った一番の願いは、浄瑠璃の作家や講釈師が自分達に好意を持ってくれることだった。
赤穂浪士の討ち入りを“完成”させるのが彼らだということぐらい内蔵助のような“普通の”侍にはわかっていたはずだ。