続き
この苦しみは、7日の朝まで途切れずに続きました。
私はこの苦悶の間にどのくらい苦しんだか、言葉にすることはできません。
私の内臓さえも武器で引き裂かれ、破裂しました、何の容赦もありませんでした。
その日以来、私は致命傷を負いました。魂の深いところでその傷口がいつも開いていて、
継続的な苦しみをもたらすのを感じます。”
1918年9月20日に霊的穿刺の痛みが終わり、ピオ神父は深い安堵を得たと報告されている。
その日、ピオ神父が聖母マリアの恩寵教会の聖歌隊席で祈りを捧げていると、
神父に霊的穿刺を与えたのと同じ人物で、傷ついたキリストと思われる人物が再び現れ、
ピオ神父はまた宗教的法悦を経験した。それが終った時、ピオ神父はキリストの5つの傷と同じ聖痕を体に受けていた。
この時の聖痕は、その後の生涯の50年間、体から決して消えることはなかった。

1918年10月22日、聖ピオ神父は、霊的指導者であるサン・マルコ・イン・ラーミスのベネデット神父へあてた書簡で、
以下のように聖痕を受けた際の経験を述べている。

”先月の20日の朝、聖歌隊席でミサを捧げた後、私は甘い眠りに似たうとうとした状態に陥りました。
私は8月5日の夕方に見たものと同じような神秘的な人物が、私の前にいるのを見ました。
唯一の違いは、その人物の手と足と脇腹から血がしたたっていたことでした。
そのありさまは私を怖がらせました、そしてその瞬間に私が感じたものは、言葉で言い表せません。

もし主が介入して、胸から張り裂けてしまいそうな私の心臓を強くして下さらなければ、
私は死んでいたはずだと思いました。その幻は消えました。
そして私は手足と脇腹から血をしたたらせていることに気づきました。
私がその時経験し、ほぼ毎日経験し続けている苦しみを想像してみてください。
特に木曜日の夕方から土曜日まで、心臓の傷は絶えず出血しています。

続く