ノアの民は「言語を伴って」分たれたと書かれる

この言語の混乱はバベル以前であり、「その前から」彼らの言語は分かれていた

つまりヤペテは印欧語、セムはセム語、ハムはハム祖語に

この「印欧語の広がり」こそ信じられないものの一つではないか?

当時誰がこれを書いてるだろうか