たことが明らかだからである。テラスは、その統治民をテラス人と呼んだが、ギリシア人はそれをトラキア人
(トラキアはバルカン半島東部の地域で、現在のブルガリア、トルコ、ギリシア領に含まれる)と改めた。  
一二六ヤペテの子たちが植民した民族は非常に多い。  ゴメルには三人の息子たちがいた。その一人アシケナズは、
ギリシア人が今日レギネス人(未詳)と呼んでいるアシケナズ人を、またリパテはパフラゴニア人(パフラゴニアは黒海南岸、
小アシアの北部にあった国で、後にローマの属州になった)と現在呼ばれているリパテ人を、トガルマは、ギリシア人がフリュ
ゲス(フリュギア人)と名づけるのを適切としたトガルマ人をそれぞれ植民した。  一二七ヤペテの子ヤワンにも三人の子が
いた。そのうちのエリシヤは、彼の治めた民をエリシヤ人──現在、アイオリス人(ギリシア民族の一種族で、伝説的創始者ア
イオルスにちなむ名と言われる)と呼ばれている──と呼び、タルシシはその治めた民をタルシシ人と呼んだが、後者はキリ
キア(小アシア南東部にあった古代の国、後にローマの属州になった。現在はトルコ領)の古代名である。このことは、彼
らのもっとも
著名な都市の一つで首都である土地が、サルセイス( )の頭文字セータ( Θ)をタウ( Τ)に改められてタルソス( )
と呼ばれている事実からも判明する。