>>275

すなわち、パリサイ人、サドカイ人、そしてエッセネ人のそれである。  
一七二さて、パリサイ人の見解によれば、ある出来事は──すべての出来事ではない──運命による業の結果であるが、
その他は、それが起こるのも起こらないのも、われわれ人間の側の自由な意志にかかっている、とする。  
しかしいっぽう、エッセネ人の宗団は、運命こそがいっさいの出来事の支配者であり、
われわれ人間の経験するすべてのことは、運命の定めるところにしたがって生起したものだと説明する。」

—『ユダヤ古代誌4

現代の死海文書の記録はヨセフスの見解を上回るのでエッセネ派も自由意志肯定と見なければならないが
ほぼ全ては定まっている(未来も既に預言され、それが起こる)
しかし自由意志も存在する

これとほぼ同じなのがイスラむ