尋常じゃなくなってくるのが結婚の翌年、24歳のときです。

黒船によって半ば強制的に開国させられていた日本は、薄々「軍を西洋風にしないとダメでは?」ということに気付き始めていました。

しかし、約250年続いた徳川の伝統から、いきなり脱するほどの柔軟な思考を持った人物はそう多くはなかったので、藩によって西欧化の手立てはバラバラ。

晋作のいた長州藩では積極的とはいいがたい方向でしたが、彼は縁あって幕府から清(中国)へ向かう使節団に加わることになり、上海へ渡航します。

そこでアヘン戦争直後、かつアロー戦争&太平天国の乱真っ最中の惨状を目にし、ある決意をしました。

「イギリス、ブッコロ!」※超訳