そもそも澤瀉屋は、9代目市川団十郎から破門され、20年もの間自身で芸を磨いて破門が解かれたときに「初代猿之助」を名乗ったのが始まり。ゆえに澤瀉屋は梨園の中では成田屋や音羽屋一門に比べると歴史が浅く、伝統を重んじる世界だけに、絶対に埋まらない歴史を常に実力でカバーしなければいけなかったといわれている。