>>566
まず日月神示は人それぞれ、八(末広がりの様に、どの様にでも)通りの読み方が出来るので悪しからず
二二を富士と読み替える様に、今ある日月神示は現代風に読みやすく当て字をしたものであり
原書ではどの様に書き記していたのか判らない事を念頭に

>「 九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。
>一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。」

 「 ここのとしは神界の紀の年ぞ、神始めの年(子の年)と申せよ。
 一二三、三四五、五六七ぞ、この歳は子の歳(年)ざぞよ。取違ひせん様にせよ。」と読むのが道理かと

五六七をミロクと読み、五六七の世を重要視するけど、本当の弥勒の世は六六六の世

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十五帖
五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。
六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、
六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、
666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ

五六七 → 六六六 → 666 → 六六六(真の弥勒の世)の到来
五六七の世は、コロナの世(新型コロナの影響による人々の心の洗い出し)と読む方がしっくりくる

子の年真中にして前後十年という解釈も、1-2-3-4-5-6-7-8-9-10という偶数解釈では、5は真中では無い
5を真中解釈するには1〜5〜9という奇数解釈でしか論理は成り立たない
でも日月神示解釈は人それぞれ、八通り好きに読み説いていきましょう