明治23年(1890)5月場所の16代横綱・西ノ海(初代)からは「横綱」の文字が番付に載るようになり、「横綱」という大関の上位に位置する地位としての認識が広まっていった。現在のように、「力士の最高位」として明文化されたのは明治42年2月のことである。
横綱の代数は、12代横綱・陣幕が引退後の明治33年に富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう、東京都江東区)に建立した横綱力士碑を基にして、現在に至っている。