キリスト信者よ改心致されよ。キリストを十字架に釘付けにしたのは、そなたたちであるぞ。懺ざん悔げせよ。(雨の巻 第2帖)

1945年10月14日の預言。
キリスト教に関する隠された歴史の言及と思われる。歴史の研究から、イエスの腹心はユダとマグダラのマリだったらしいことが確定的となっている。現在の聖書に載せられた記録にも、イエスが磔刑たっけいになった時、今でいう12使徒はどこかへ逃げてしまい、最後まで立ち会って復活を見届けたのはマグダラのマリアだったことがハッキリ書かれている。またイエスに替わって磔刑を受けたのはユダだったという説もある。ところが現在の聖書では、ユダは裏切り者であり、マグダラのマリアは娼婦としている。これだけではない。現在の聖書にはイエス自身の記したものは何一つ収録されていない。イエス自身はたくさんの書簡を書いているし、福音書や黙示録を書き残している。だが、それらは1つたりと聖書にはない。それどころか外典や偽典にも含めない異常ぶりだ。
そのイエスの語録は間接的に記されているが、本人によるものが1つも収録されてない時点で、はたしてどこまで正しいか……。当然ながらユダとマグダラのマリアの書き残した福音書も、近年発見、公開されるまで長らく存在が隠されて、世間には知られてなかった。これらの事実より、今のキリスト教は腹心2人を追放し、イエス自身の書き記した文献まで破棄した上に成り立っている。このあたりの真実を語っているだろう。余談ながら、同じことは日本神話や儒教にもある。日本神話では、富士山並びその周辺についての記事が古事記や日本書紀から丸々削除されている。儒教でも孔子自身の書いたものは残されず、すべて自称弟子を語る者たちが「師曰のたまわく」という形で書き残したもののみが伝えられている。いずれもオリジナルと比べると、どこまで正しいか