日本書紀にのみ登場し、「まつろわぬ神」として葦原中国の平定を記述した部分にしか登場しない「天津甕星」ですが、建葉槌命によって平定され先の回答者様の言う通り茨城県の「大甕神社」に封じられています。
この神社の祭神自体は討伐した側の建葉槌命なのですが、裏手にある岩山が天津甕星を封じた「ご神体」であり岩山の上にある社が「本殿」であるようです。

天津甕星はこの地域に蟠踞して東国を支配していたという事が社伝にもありますが、これは大和政権への抵抗者として捉えられている事を表すと思います。