「保安検査後に購入を」
関空を運営する関西エアポートは、手荷物などの保安検査を受けた後のエリアでの土産購入を呼びかける。国内線の土産店は今回のリニューアル第1弾の一環として、昨年10月にオープンしたばかりだ。

関空第1ターミナルの保安検査後エリアに昨年10月、オープンした土産店=関西国際空港(藤谷茂樹撮影)
関空第1ターミナルの保安検査後エリアに昨年10月、オープンした土産店=関西国際空港(藤谷茂樹撮影)
約385平方メートルのスペースに、関西の主要都市や大阪南部の泉州地域の商品をまとめたブース、デパートのような高級感あるブースなどと3区画設け、扱う商品は900種類近い。担当者は「分散していた店を一元化して、重複商品を減らしラインアップを充実させた」と説明する。

今後のリニューアルでは国際線も保安検査後のエリアを充実させており、空港関係者は「早めに保安検査を受けてもらうよう促すねらいもある」と明かす。

以前は保安検査前の飲食店や土産販売店で過ごす乗客が搭乗案内時間に遅れ、航空会社のスタッフが探し回る事態がたびたび発生。リニューアルでは、こうした運用面の効率化も図っていきたいという。

「旅に行ったことの証明」
そもそも土産を買えないことでSNSをざわつかせる日本人の気質や心理はどういったものなのか。


川崎市市民ミュージアム学芸員で、「おみやげと鉄道」の著者、鈴木勇一郎さん(日本近代史)は「土産の原初的な姿は、参拝した神仏の御利益を分かち合うことだった」と説明する。

そのルーツは江戸時代までさかのぼるといい、庶民は領地からの移動が制限されたが、お伊勢参りをはじめ寺社詣では例外で認められた。路銀を集落で出し合い、代表者がお参りに行く形も多く、参拝先で授かったお神酒などを持ち帰り、分け合った。

「土産はお礼と報告が目的。次第に当地で買い、行ったことを証明するような意味合いが強まった」と鈴木さん。明治以降の近代化で鉄道が開通し、参拝鉄道が登場すると、より庶民の行楽となっていく。土産は工芸品が多かったが、移動速度の高速化とともに食品も傷む心配が減り土産として定着していったそうだ。


鈴木さんは「戦後、昭和40年代になり所得水準が上がり、旅行の頻度が増えると、分けやすく、食べればなくなる菓子など食品が喜ばれるようになった」と解説する。その上で「欧米にも土産に相当する言葉があるが、自分のための旅の思い出という色彩が強い。日本では人に配ることを前提にしている」と強調。
旅先で得たものを分かち合う文化が現代の日本にも息づいているだけに、関空の土産物難民急増は深刻な事態なのかもしれない。(藤谷茂樹)