■築山殿の「嫁いびり」を告げ口

 この夫との確執に加えて、彼女にとって我慢ならなかったのが、義母・築山殿の「嫁いびり」であった。今川家といえば、清和源氏の流れを汲む名家。その当主・義元の姪としての自負が傲慢さを育んだものか、俄かに勢力を増してきた織田家など「何するものぞ」と蔑み、その現れとして嫁いびりを始めたのだ。

 さらには、築山殿にとって信長は、自身の父・関口義広(親永)を殺した仇でもある。その娘も当然、憎いとの思いがあった。そのこともあって、何かにつけ彼女を罵ったのである。なかなか男子を生まない五徳に対して「役立たずめ」と暴言を吐いた挙句、五徳を見限って信康に妾を持つよう仕向ける始末。

 そこで五徳は、姑の不義密通(甲斐にいた唐人医師・減敬との密通が噂されていた)までもを父・信長に告げ口した。それが、「12ヶ条の弾劾文」と呼ばれるもので、信康ばかりか築山殿への不平不満を12条も書き連ねて、父の元に送り届けたのだ。

 もちろん、信長が激怒したことはいうまでもない。娘を愚弄することは、詰まる所、織田家を軽んじることにつながるからである。ただし、信長がそれ以上に怒ったのは、徳川家が武田家と結んで「織田家に対抗しよう」との姿勢を見せたことであった。

 信康が本当にそれを目論んだかどうかはともあれ、信長は信康の武将としての能力に恐れを抱いていたようである。娘・五徳の弾劾文は、本人にとっては単なる不平不満のはけ口だけだったかもしれないが、信長にとっては、好機到来。信康を排除する絶好の機会と捉えた。

 それゆえに、信長は家康に対して、有無を言わさず信康の殺害を強要。その際、母・築山殿が、我が子を殺されて騒ぎ出すことは火を見るよりも明らか。厄介な事態を招かないうちに、まずは築山殿の殺害を先行し、その上で、信康に自害を命じるとの手はずが整えられたのである。